徽宗きそう

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    徽宗 徽宗(きそう)は、北宋の第8代皇帝。諡号は体神合道駿烈遜功聖文仁徳憲慈顕孝皇帝(退位したので「遜」(ゆずる)という文字が入っている)。諱は佶。第6代皇帝神宗の六男(第11子)。芸術面では北宋最高の一人と言われる。

    文人、画人としての徽宗はその才能が高く評価され、宋代を代表する人物の一人とされる。

    第6代神宗の第11子であるが、兄の第7代哲宗に子がなかったので、哲宗の死後、帝位についた。

    初め向(しょう)太后が摂政となり、新法と旧法とを折衷する政治を行ったが、翌年太后が亡くなって親政すると、新法を継承して、旧法党の官僚を徹底的に弾圧した。

    しかし政治にはあまり熱心でなく、詩文をよくし、書では痩金体(そうきんたい)とよばれる独特の書体を創始し、画でも院体画の大家であって、その花鳥画はわが国の大名たちにも愛された。宰相蔡京(さいけい)の勧めに従って豪奢(ごうしゃ)な生活を送り、遊興の費用を賄うために人民に重税を課した。

    なかでも、江南から奇石珍木を徴発して都に運ばせた、いわゆる花石綱(かせきこう)は江南の民衆を苦しめ、方臘(ほうろう)の乱(1120~21)を引き起こす原因になった。

    また山東一帯では、『水滸伝(すいこでん)』で有名な宋江(そうこう)らの反乱が起こった。

    そのころ東北地方にいた女真(じょしん)族が遼(りょう)の支配を脱して独立、金(きん)を建国し、南に侵入して遼を滅ぼし(1125)、さらに南下して都の開封(かいほう)に迫った。

    そこで位を子の欽宗(きんそう)に譲り、教主道君皇帝と号した。翌1126年、再度の金軍の侵攻を受けて開封は陥落(靖康(せいこう)の変)、彼は欽宗とともに捕虜となって北に送られ、五国城の配所で没した。

    全国から書画、骨董(こっとう)を収集して、古器物研究の風を興し、宮廷に書画学を設けて芸術家の養成に努めるなど、文化の保護に力を入れたので、宣和(せんな)時代とよばれる美術の黄金時代がつくられた。

    痩金体(「痩金」は徽宗の号)と称される独特の書体を創出し、絵画では写実的な院体画を完成、「風流天子」と称された。

    現在、徽宗の真筆は極めて貴重な文化財となっており、日本にある『桃鳩図』は国宝に指定されている。

    また、『周礼』に基づいた古代の礼制復活を図るべく『政和五礼新儀』を編纂し、自らも執筆に加わっている。

    徽宗の代表的な作品

    • 「草書千字文」

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