内藤春治ないとう はるじ

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    内藤春治(ないとう はるじ、1895-1979)は大正-昭和時代の鋳金家である。


    1895年4月1日に岩手県盛岡市に内藤運吉・サトの二男として生まれる。幼い頃は学校をさぼり、近所の三ツ石神社に道具を置いて野山をかけずり回っていたわんぱく少年であった。

    1910年には釜師有坂安太郎に入門、16年南部鋳金研究所に入って松橋宗明に学んだ。


    その後1919年に上京し香取秀真に師事する。1920年には東京美術学校鋳造科に入学。

    在学中は、アール・ヌーボーに刺激を受けた新しい工芸運動に参加し、工芸団体「方壺会」や高村豊周らと「无型(むけい)を結成。幾何学的な構成や実用性の高い作風を追求するようになる。1925年卒業し、研究科へと進む。1928年修了後は同校の助手となる。


    また、1927の帝展に美術工芸部が新設され「壁画への時計」を出品し入選。1929年の帝展出品作の「花挿のある照明装置」で特選を受け翌年から無鑑査となる。


    1935年に実在工芸美術会を結成。翌年文展鑑査展に招待出品し、以後新文展、日展に出品を続ける。1944年には東京美術学校教授となり、多くの学生を指導する立場となった。


    戦後も日展に出品し、日展参事、日展評議員、日展参与となり活躍した。
    また、全日本工芸美術協会や日本鋳金家協会などの団体にも所属した。
    1955年には日本芸術院賞を受け、1962年東京芸術大学を退官し名誉教授となる。


    数々の場で活躍を見せた内藤春治だが、1976年にくも膜下出血の疑いで入院し、1979年5月23日心不全のため東京都北区の自宅で死去した。

    内藤春治は、正倉院御物の鏡の研究と仏像修理でも知られ、奈良薬師寺の薬師三尊、鎌倉大仏の修理委員などを歴任した経験を持ち、伊勢神宮御神宝の鏡、東京千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に安置されている恩賜の骨壺などの制作を行った事でも知られている。

    また、皇居新二重橋の照明飾台、橋ゲタなどの装飾デザインを担当するなど、多岐わたり活躍を見せた。


    年表
    1895年 岩手県で生まれる
    1910年 有坂安太郎に師事
    1914年 南部鋳金研究所に入所し、松橋宗明に学ぶ
    1919年 上京して香取秀真に師事
    1925年 東京美術学校鋳造科を卒業
    1926年 无型(むけい)を結成
    1927年 帝展に美術工芸部が新設され、入選
    1928年 東京美術学校研究科を終了
    1929年 帝展で特選
    1935年 実在工芸美術会を結成
    1944年 東京美術学校教授となる
    1952年 日展参事となる
    1955年 日本芸術院賞を受賞
    1958年 日展評議員となる
    1960年 日展参与となる
    1962年 東京芸術大学名誉教授となる
    1976年 くも膜下出血の疑いで入院
    1979年 5月23日逝去

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