中村貞以なかむら ていい

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    中村貞以(なかむら ていい、1900-1982年)は大正から昭和時代に活躍した日本画家である。

    1900年7月23日大阪・船場で鼻緒問屋を営む中村清助の第四子として生まれる。本名清貞。2歳の時に両手に火傷を負って指先の自由を奪われ、両手に挟んで絵を描く「合唱描法」を編み出し、不自由な手で描いたとは思えないほどの人物画、風景画を描いている事で知られている。両親は将来太夫にするつもりで、浄瑠璃を習わせたが、幼少期より習字や絵に才能を発揮。


    1909年には近所に住んでいた浮世絵師長谷川貞信に絵の手ほどきを受け、1919年日本美術院同人の美人画家北野恒富に入門する。翌年の1920年には第6回大阪美術展で「微笑」が初入選、デビュー作となり、1922年の同展で「お玉」が第一席となる。また、院展でも活躍を見せ、1924年第9回試作展(現在の院展)に「仙女」が初入選、第一席を受賞した。1932年の第19回院展では「朝」が日本美術院賞第一賞を受賞。画家として地位を確立し、画塾・春泥会を結成し、後進の指導にもあたるようになる。その後も現代風俗を扱った清新な作品を発表し、1936年には同人となる。


    また、北野恒富が主宰する白燿社にも出品。1934年には自ら画塾春泥会を結成、主宰者となった。
    戦後も院展での出品を続け、典麗清雅な趣をたたえる美人画が生まれた。1958年には日本美術院評議員をつとめる。その後も1960年第45回院展「双婉」が文部大臣賞受賞。1966年には日本芸術院賞を受賞し、美人画の第一人者としての地位を確かなものとする。


    院展での活躍を見せる一方で、1951年檀一雄の連載小説『真説石川五右衛門』(新大阪新聞)の挿絵の担当や、1970年には真宗大谷派難波別院本堂余間の襖絵「春・得度の図、秋・往生の図」を手掛けるなど手が不自由というハンデを感じさせない画家であった。


    1982年3月12日午後11時40分腎不全と敗血症のため、大阪市阿倍野区の大阪市立大学付属病院で死去。享年81。



    年表
    1900年 大阪に生まれる
    1911年 大阪市南区大宝寺小学校卒業
    1916年 私立大阪経理学校語学部(英語科)中退
    1919年 北野恒富に師事
    1920年 大阪美術展で「微笑」が初入選
    1922年 大阪美術展で「お玉」が第一席となる
    1924年 春の院展で初入選、第一席を受賞
    1932年 院展で「朝」が日本美術院賞を受賞する
    1934年 画塾春泥会を結成
    1936年 日本美術院同人推挙される
    1948年 日展審査員をつとめる
    1951年 「真説石川五右衛門」の挿絵を担当
    1958年 日本美術院評議員をつとめる
    1960年 院展で「双婉」が文部大臣賞を受賞
    1966年 日本芸術院賞を受賞
    1970年襖絵「春・得度の図、秋・往生の図」を手掛ける
    1972年 勲四等旭日小綬章を受章する
    1977年 横山大観記念館理事をつとめる
    国立国際美術館評議員となる
    1978年 日本美術院理事となる
    1982年 3月12日逝去

    中村貞以の代表的な作品

    • 『猫』、『酸漿(ほおずき)』 など

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