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古田織部

ふるた おりべ

古田 重然(ふるた しげなり、ふるた しげてる(1544年(天文13年)~1615年(慶長20年))は、戦国時代から安土桃山時代、江戸時代初期にかけての武将。美濃(岐阜南部)出身。

武将、大名。一般的には茶人・古田 織部(ふるた おりべ)として知られる。

「織部」の名は、壮年期に従五位下織部正(織部助)の官位に叙任されたことに由来している。

千利休が大成させた茶道を継承しつつ大胆かつ自由な気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれる一大流行を安土桃山時代にもたらした。

天正10年(1582年)から千利休の書簡に重然の名前(左介)が見える。

織田信長の美濃攻略により臣従し、使番として仕えた。本能寺の変後は豊臣秀吉に仕えて緒戦で活躍し、1585年(天正13年)に秀吉が関白に就いたとともに従五位下織部正に任ぜられた。

天正19年(1591年)に秀吉によって利休の追放が決まると利休と親交のあった諸将が秀吉を憚って現れない中、重然と細川忠興のみが堂々と利休の見送りを行った。

利休死後は、天下一の茶人となった。慶長3年(1598年)には子の重広に家督を譲ったとされるが、史料に確認できない。

慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いでは東軍に与した。

この時期の重然は茶の湯を通じて朝廷・貴族・寺社・経済界と様々なつながりを持ち、全国の大名に多大な影響を与える存在であり、二代将軍・徳川秀忠の茶の湯の指南役にも抜擢されている。

茶器製作・建築・造園などにも携わり、「織部好み」と呼ばれる一大流行を生み出し、各界の著名人との人脈と影響力も持った。

故意に形をひしゃげさせたり、一度完成したのをわざと壊して継ぎ合わせたりした茶碗、パズルピースのような形の皿などのような、不均衡さに美を見いだす作品が「織部好み」として様々に伝えられている。

古田織部がデザインした陶磁器は、それまで良いとされていた左右対称(シンメトリー)とは異なり左右非対称(アンシンメトリー)を大いに是とし、場合によっては使用用途の犠牲すら厭わない特徴がある。

同時期の茶人である神谷宗湛の手紙にも織部の茶会に用いられた茶碗が「セト茶碗。ヒツミ候也。ヘウケモノ也」(宗湛日記)であるとされている。

織部が刑死した事もあり後、小堀遠州を筆頭とする「綺麗寂び」が主流となって織部のダイナミックな陶風は姿を消したが、江戸幕府が倒れた後に北大路魯山人、川喜田半泥子らによって俄に作陶、作庭などに左右非対称性が復活した。

同時期、西洋にて抽象画などが好まれた背景もあり、こういった事象より古田織部の芸術思想は現代日本の文化を根差している象徴ともされ、人に依りては「我が国に於いて茶の湯の祖は千利休、作陶の祖は古田織部なり」とまで謳われる事がある。

千利休に於いても茶碗は確かに国焼(国産の茶碗)を好んで用いたものの、形にまで踏み込む事は無かったという意図であるが、千利休が好んだ楽焼と古田織部が好んだ織部焼とでは確かに同時代にて焼かれたもとのは俄に信じられぬ作風の異なりが見て取れる。

また、陶器に絵を描き染める(絵付け)事を好んだのも織部の特徴である。

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