吉原治良よしはら じろう

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吉原 治良(よしはら じろう、1905(明治38)年1月1日-1972(昭和47)年2月10日)は、昭和時代に活躍した日本の画家である。


大阪府大阪市の三代続いた油問屋の御曹司として生まれる。北野中学校(現在の北野高等学校)在学中に絵画に対する関心が高まり、独学で油絵を始める。北野中学校卒業後は関西学院高等商業学部へ進み卒業。卒業後は絵を勉強するために渡仏。その後大阪朝日会館の大ホールで魚を題材とした作品58点の初の個展を開催。


活動を続けた吉原だが、敬愛する藤田嗣治と出会い、自身の作品の独自性のなさを指摘され抽象絵画へと徐々に転換。独自性を追求するようになる。1938年には東郷青児が主催する二科会の抽象画家らとともに「九室会」の結成に参加。しかし、戦時中や戦後しばらくの間は前衛芸術は黙ししていた。


その後徐々に絵画・デザインの発表を再開。不定形の激しい抽象表現へと変化。後にこの表現はフランスでのアンフォルメル運動との同時性が注目されるようになる。絵画で活躍する一方で、海外オートクチュールメゾンのファッションショーの舞台装置をプロデュースするなど活躍を見せる。また、自ら画塾を開き、後進の指導に励んだ。具体美術協会も結成しており、公園での野外展示や東京の小原会館等で具体展を開催。フランスの美術評論家ミシェル・タピエらの注目を集めた。


また、吉原製油の社長として事業でも活躍。「ゴールデンサラダ油」のパッケージを、モダンなグラフィックデザインを手掛けた早川良雄に依頼するなど、デザインにこだわりを見せた。


国内だけでなく国際的にも活躍した吉原治良は、1972年2月10日にクモ膜下出血のため死去した。



年表
1905(明治38)年 大阪で生まれる
1928(昭和3)年 初めての個展を開催
1934(昭和9)年 二科展で初入選
1938(昭和13)年 九室会を結成
1941(昭和16)年 二科会会員
1952(昭和27)年 現代美術懇談会結成
1954(昭和29)年 具体美術協会結成 代表
1962(昭和37)年 大阪中之島に展示館「グタイピナコテカ」を開催
1967(昭和42)年 第9回日本国際美術展 国内大賞受賞
1971(昭和46)年 第2回インド・トリエンナーレ ゴールドメダル受賞
1972(昭和47)年 逝去

吉原治良の代表的な作品

  • 「白い円」
  • 「火山」
  • 「潮干狩」

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