野口謙蔵のぐち けんぞう

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    野口 謙蔵(のぐち けんぞう、1903(明治34)年6月17日-1944(昭和19)年7月5日)は、昭和時代に活躍した日本の洋画家である。


    滋賀県蒲生郡桜川村綺田に桜川村初代村長を勤めた野口正寛の次男として生まれた。母の野口小蘋は人気女流画家であった。また、祖父の野口正忠は美術愛好家であり、祖父と親交のあった富岡鉄斎が野口家に居候していた。そのため、幼少期から芸術に囲まれて育ち、絵を描くことを好んでいた。


    1919年に彦根中学校を卒業。同年、画家を目指し東京美術学校西洋画科に入学。在学中は黒田清輝や和田英作から指導を受ける。1924年に同校を卒業。卒業後は自身の画風確立に適している土地が故郷だと信じ、迷わず帰郷。


    帝展入選を目指し、制作活動を行う。しかし、自身の制作する洋画に違和感を持ち、洋画の制作を一時中断。平福百穂の門に入り日本画を学ぶ。その後は洋画に復帰。1928年の第9回帝展に「庭」を出品し初入選を果たす。以降第10回帝展、第11回帝展と連続で入選。1931年の第12回で特選を受賞。以降第14回、第15回に「閑庭」と「霜の朝」をそれぞれ出品し、連続で特選を受賞。新文展へ変更された後も出品を重ね多数の賞を受賞した。1943年には審査員も務めた。その他にも東光会展や槐樹社展などにも出品を行う。


    その後も活躍を期待されていた1944年にカタル性黄疸のため死去した。作品は、身辺に題材を求め、力強い描線で日本的な洋画であった。



    年表
    1903(明治34)年 滋賀県に生まれる
    1919(大正8)年 東京美術学校西洋画科 入学
    1924(大正13)年 東京美術学校西洋画科 卒業
              帰郷
    1928(昭和3)年 第9回帝展に「庭」を出品 初入選
    1929(昭和4)年 第10回帝展に「梅干」を出品 入選
    1930(昭和5)年 第11回帝展に「蓮」を出品 入選
    1931(昭和6)年 第12回帝展に「獲物」を出品 特選
    1933(昭和8)年 第14回帝展に「閑庭」を出品 特選
              第1回東光会展 出品
    1934(昭和9)年 第15回帝展に「霜の朝」を出品 特選
    1938(昭和13)年 文展無鑑査
    1943(昭和18)年 文展審査員
    1944(昭和19)年 死去

    野口謙蔵の代表的な作品

    • 「閑庭」
    • 「霧の朝」
    • 「梅干」

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