野見山暁治のみやま ぎょうじ

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    野見山暁治(のみやま ぎょうじ、1920年-)は、昭和から平成時代に活躍する日本の洋画家である。


    1920年12月17日福岡県穂波村に炭鉱経営者の子として生まれる。父親の野見山佐一は海老津鉱業、昭和炭鉱社長である。1938年に嘉穂中学校を卒業。卒業後は 東京美術学校洋画科に入学。当時は故郷の炭鉱を制作の原風景としていた。1943年に同校を卒業。戦時中であったため満州に応召されるが病気にかかり入院。その後帰国し入院。


    1945年の終戦後に退院し、傷痍軍人制度廃止に伴う一時金を得る。1948年第2回自由美術家協会展で協会賞、会員に推挙される。同年、結婚する。その後1952年から1964年までフランスにわたり、椎名其二(そのじ)の影響をうける。1956年にサロン・ドートンヌ会員となる。また、滞在中に妻である陽子をフランスに呼び寄せるが、わずか1年でガンを発症。1956年闘病の末に早世した。その後の1958年には「岩上の人」が安井賞を受賞。


    帰国後は1968年に東京芸術大学助教授を務め、1972年から1981年まで同校の教授として活躍した。名誉教授となる。


    退官後は個展を開催。1992年には第42回芸術選奨文部大臣賞を受賞。1994年第1回福岡県文化賞、1996年毎日芸術賞を受賞するなど活躍を見せ、2000年には文化功労者となった。また、戦没画学生慰霊美術館「無言館」の開設・運営につくしたとして信濃デッサン館館主窪島誠一郎とともに2005年に菊池寛賞を受賞する。


    その後も活躍をみせ2014年に文化勲章受章、2017年練馬区名誉区民に選定される。
    故郷の炭鉱を制作の原風景としていたが、12年間のパリ生活を経て、抽象画へと変化。



    年表
    1920年 福岡県に生まれる
    1938年 嘉穂中学校を卒業
    1943年 東京美術学校洋画科卒業
        満州に応召 病気にかかり入院
    1945年 退院
    1946年 第2回西部美術展覧会で福岡県知事賞
    1948年 第2回自由美術家協会展で協会賞、会員に推挙される
    1952年 フランスに渡る
    1956年 サロン・ドートンヌ会員となる
    1958年 安井賞を受賞
    1964年 帰国
    1968年 東京芸術大学助教授
    1972年 東京芸術大学教授
    1978年 『四百字のデッサン』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞
    1981年 東京芸術大学辞職
    1983年 北九州市立美術館、東京セントラル美術館で個展を開催
    1992年 第42回芸術選奨文部大臣賞を受賞
    1994年 第1回福岡県文化賞
    1996年 毎日芸術賞を受賞
    2000年 文化功労者に選ばれる
    2005年 菊池寛賞を受賞
    2014年 文化勲章受章
    2017年 練馬区名誉区民に選定される

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