川喜田半泥子かわきた はんでいし

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川喜田半泥子の買取

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川喜田半泥子 お持ちの川喜田半泥子作品を、大切にしてくださる次のお客様へ橋渡しさせていただきます。
川喜田半泥子は、安定して高い人気があり、そのため古美術永澤では川喜田半泥子の作品を高く評価した価格で買い取りしています。
特に川喜田半泥子を代表する人気の作品は高価買取いたします。

川喜田半泥子の人気の作品


茶道具の中でも茶碗を主に作陶し、独特の品格をもつ作品で人気があります。
井戸、粉引、刷毛目、志野、瀬戸黒、唐津、伊賀、信楽、色絵など、幅広い創作作品があります。
買取価格は、年代や作陶した窯・土などから、希少性が高いと評価したお品は高価買取させていただきます。
そのほかに俳句や書画も創作し、掛け軸・絵画、竹製の茶杓や花入れなども高く評価しています。


作家紹介


川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年(明治11年)11月6日 - 1963年(昭和38年)10月26日)は、日本の陶芸家・実業家・政治家。本名は久太夫政令(きゅうだゆうまさのり)、幼名は善太郎。号は「半泥子」の他に、「無茶法師」「其飯(そのまま)」等。

明治11年、三重県津市にある伊勢豪商川喜田久太夫家の長男として生まれる。(出生地は大阪市東区本町の仮寓である)川喜田家は江戸時代・寛永年間に創業した木綿問屋で、伊勢を本拠に、江戸大伝馬町に江戸店を持つ豪商であった。三重県でも有数の富豪の家に生まれたが、生後まもなく祖父、父を相次いで亡くし、満1歳をまたずして川喜田家の家督を継ぎ16代当主となった。当時母は18歳とまだ若かったため実家に帰され、祖母政子(まさ)の手によって育てられる。早くから禅寺に参禅し、大徹禅師から授けられた言葉「半ば泥(なず)みて、半ば泥(なず)まず」から、半泥子となる。筆頭分家の川喜田四郎兵衛からも教育を受け、三重県尋常中学(現在の三重県立津高等学校)に入学。当時同校で教えていた藤島武二に洋画を学ぶ。1900年(明治33年)東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学するが翌年退学。1901年(明治34年)23歳で四郎兵衛の長女・為賀と結婚する。幼くして別れた母親とは20歳まで再会を許されなかった。

1903年に百五銀行の取締役に就任、1919年に第6代頭取に就任し、1945年2月まで頭取を務め、辞任後会長となる。健全な経営を行う一方で地元の中小銀行を買収・合併していき、1922年には吉田銀行、1925年には河芸銀行、1929年には一志銀行を買収。1943年には勢南銀行を合併し規模を拡大していった。1924年には津市中心部の丸之内に新本店を建設。1931年の金融恐慌においては奇策を講じ、取り付け騒ぎを乗り切る。こうして百五銀行は、半泥子の時代に三重県有数の金融機関に成長した。また、三重県財界の重鎮として、三重合同電気社長や明治生命の監査役などいくつもの会社の要職を務め、1909年には津市議会議員に当選し、翌年には三重県議会議員に当選している。

公人としての人生を歩んでいた半泥子であったが、1906年27歳のとき祖母政子が他界する。遺書である『政子遺訓』は財産の記載は一切なく、半泥子の人生を案じ、教えを記したものである。特に「己を誉むるものは悪魔と思うべし。我を誹るものは善知識と思うべし。只何事も我を忘れたるが第一也」は半泥子の生涯の人生哲学となり、この遺訓を一生肌身離さずポケットに入れていたという。
そんな政子は、伊勢の射和(いざわ)の豪商竹川竹斎の妹である。兄・竹川竹斎は佐藤信淵や勝海舟と交流があり、『海防護国論』を贈ったことで知られる才人である。また沼波弄山が創始して廃れたままになっていた萬古焼の復興に手を尽くした人物でもあった。嫁いだ、川喜田家は代々歌人や茶人などの風流好学の人が出ており、余技においても名を成すことを良しとする家風が確立していた。両親のいない半泥子を、幼少の頃から南禅寺住職の大徹禅師のもとへ参禅させ、余技として茶道、洋画、日本画、書、俳句などを学ばせるなど、素封家を守る政子の教育は、のちに多彩な芸術的才能を発揮する半泥子に大きな影響を与えた。
多芸多能、広く見識を有していたが、別号:無茶法師の名による随筆『泥仏堂日録』には、「中学生の頃からガラクタ屋の店先で行燈やニシン皿とか貧乏徳利の変り手などをじっと見ていた」という記述があり、焼き物へ特に関心を抱いていたことがわかる。余技が興じて道楽三昧、資産を投じ、いつしか玄人では成し得ない境地に至った半泥子であるが、購入した千歳山の土が陶土であることを知り、楽焼を試みたのは30代半ばのことである。1925年には千歳山北部に両口倒焔式の石炭窯を築く。当初は陶工に作らせていたものの、50歳を過ぎてから本格的に自ら作陶するようになり、1933年には千歳山の自宅に自邸に窯場を設けて、膨大な数の作品を制作する。陶芸のほかに、書や画もよくしたが、あくまでも趣味としての立場を貫き、生涯に一作品も売ることはなく、出来上がった作品は友人知人に分け与えた。近代陶芸界に大きな足跡を残した半泥子は今なお多くの人を魅了し、「東の魯山人・西の半泥子」「昭和の光悦」などと称され、の作品は、趣味の域を超え、高い評価を受けています。

川喜田半泥子の代表的な作品

  • 粉引茶碗 銘「雪の曙」
  • 志野茶碗 銘「赤不動」
  • 刷毛目茶碗 銘「一声」
  • 伊賀水指 銘「慾袋」
  • 呼継茶碗 銘「ねこなんちゅ」

1878年    明治11年、大阪市東区本町の仮寓で、伊勢商人の長男として生まれる
1894年 16歳 三重県尋常中学校(現・三重県立津高等学校)で当時同校で教えていた藤島武二に洋画を学ぶ
1900年 22歳 東京専門学校(現・早稲田大学商学部)に入学(翌年退学する)
1901年 23歳 川喜田四郎兵衛の長女・為賀と結婚
1912年 34歳 津市南郊外にある千歳山を購入する
1913年 35歳 中国・朝鮮半島を旅行し、各地の陶土を持ち帰る
1915年 37歳 父の命日に千歳山に邸宅を建築し移住する
1923年 45歳 長男、壮太郎と欧米旅行に出かけ、マチス、ボナールらの名画を入手。この頃「無茶法師」と号す
1925年 47歳 楽焼師、長江寿泉の設計による両口の倒炎式石炭窯を千歳山に築窯、初窯を焚く
1930年 52歳 私財を投じて財団法人石水会館を設立、千歳山に「千歳文庫」を建てる
1932年 54歳 自己流で本窯を炊き上げる。茶の湯の師匠、久田宗也に所蔵される
1933年 55歳 小山富士夫に築窯を依頼、二袋の煙突式薪窯を焚くが失敗に終わる
1934年 56歳 朝鮮、鶏龍山の古窯跡をヒントに自ら三袋の登窯を築窯、成功する
1935年 57歳 伊賀上野城内の古窯跡を発掘。「やきもの趣味」に泥仏堂日録を寄稿する
1936年 58歳 加藤唐九郎と共同で翠松園に天狗窯築窯。金重陶陽、北大路呂山人との交流が始まる
1937年 59歳 加藤唐九郎と決別。赤絵を始めて試みて、赤坂山王下の茶屋で「無茶法師作陶展」開催。荒川豊蔵との交流始まる
1938年 60歳 還暦記念に「赤絵梅文茶碗」を61碗制作する。陶陽窯を訪ねる
1940年 62歳 荒川豊蔵と鳴滝の乾山窯を調査する。古伊賀水指の名品「破袋」に倣って伊賀水指「破袋」を制作。陶陽窯訪問
1941年 63歳 仁和寺で「仁和寺御記」を拝見。池田家所有の「陶工必要」を筆写する
1942年 64歳 荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休雪を千歳山に招来し「からひね会」結成。「乾山異考」刊行
1943年 65歳 作品集「千歳山半泥子六十六碗鑒」を便利堂から刊行
1947年 69歳 千歳山より戦中疎開した広永に築窯「広永窯」にて初窯を焚く
1949年 71歳 金重陶陽、広永窯来訪。「大吹雪」制作
1954年 75歳 喜寿を記念して、喜寿祝賀77碗をつくる
1956年 78歳 藍寿褒章受章
1957年 79歳 八十寿祝賀会開催。参加者100人に記念の茶碗と図録「半泥子八十賀百碗鑑」を贈る
1963年    昭和38年、86歳で逝去

豊富な財力で、様々な文化事業を支援。1930年に「財団法人石水会館」を設立。同年、自宅のある津市南部の千歳山に川喜田家の所蔵品収蔵庫として千歳文庫を建設した。1942年「からひね会」を結成し、「荒川豊蔵」「金重陶陽」「三輪休雪」ら3人の人間国宝を支援するなど全国の陶芸家と交流を持つ。戦後、千歳山の自宅が進駐軍に接収されたため郊外の広永へと移転。自宅にあった窯もこの地に移した。1955年には再び千歳山に住まいを移した。
死後、「石水会館」は半泥子が生涯をすごした津市の丸之内に1980年「石水博物館」を設立し、川喜田家に所蔵されていた半泥子の作品を公開している。石水博物館はその後、2011年に半泥子の自宅と千歳文庫のある千歳山に新築移転した。

川喜田半泥子 買取実績

古美術永澤より川喜田半泥子の買取

川喜田半泥子の茶碗は本物であれば高額買取が期待できます。
川喜田半泥子は個性的な陶器で評価が高く、特に茶碗は人気があり、古美術永澤では高額買取の実績も数多くあります。
川喜田半泥子の作品をお持ちでしたら、ぜひ一度査定をお申し付け下さい。
すでに鑑定を取得されている場合はかならず一緒にお見せいただけますようお願いいたします。
状態などを拝見して相場をお伝えした上、できる限りの高額で買い取りさせていただきます。

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