買取作家

松平不昧

まつだいら ふまい

松平不昧(まつだいら はるさと、1751年3月11日(寛延4年2月14日)- 1818年5月28日(文政元年4月24日))は、江戸時代後期の出雲松江藩の第7代藩主である。直政系越前松平家宗家7代であり、江戸時代の代表的茶人の一人である。また、号の不昧(ふまい)で世に知られている。不昧の茶風は、不昧流として現代まで続いている。
明和4年(1767年)に父の隠居により家督を継ぎ、将軍である徳川家治からの偏諱と祖父である宣維の初名「直郷」の1字を取って、治郷と名乗った。この頃には松江藩は財政が破綻しており、周囲は「雲州様(松江藩の藩主)は恐らく滅亡するだろう」と囁いていた。そのため治郷は、家老の朝日茂保と藩政改革を始めることで、積極的に農業政策を行った。また、治水工事などを行い、楮や櫨、木綿、朝鮮人参などの商品価値の高い特産品を栽培し、財政再建を試みた。しかしその反面で厳しい政策が行なわれたため、それまでの借金は全て棒引とし、また藩札の使用禁止、厳しい倹約令、村役人等の特権行使の停止、年貢の徴収を四公六民から七公三民にするなどを行った。これらの倹約、引き締め政策を踏まえて、安永7年(1778年)に井上恵助による防砂林事業が完成した。また、天明5年(1785年)に清原太兵衛が行っていた佐陀川の治水事業が完了し、これらの政策で藩の財政改革は成功した。これより藩の金蔵に多くの金が蓄えられたと言われている。
しかし、財政が再建されて潤った治郷は、茶人としての才能に優れていたために、1500両もする天下の名器「油屋肩衝」をはじめとした、300両から2000両もする茶器を多く購入するなどして散財してしまった。このため、藩の財政は再び一気に悪化する(改革自体は茂保主導の箇所が大きく、治郷自身は政治に口出ししなかったことが原因である)。
文化3年3月11日(1806年4月29日)には、家督を長男の斉恒に譲り隠居した。その後文政元年4月24日(1818年5月28日)に不昧は死去した。当時68歳であった。墓所は島根県松江市外中原町の月照寺である。
また、弟である衍親(のぶちか)は、俳諧などをよくする趣味人の松平雪川として知られている。

松平不昧の代表的な作品

  • 「贅言(むだごと)」
  • 「類聚名物」
  • 「雲州名物帳」

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