東名バスに揺られて、夢の浅草へ
小学低学年の頃、正月の恒例行事といえば、親父に連れられて行く浅草への旅だった。
当時、親父はダンプカーの運転手をしており、私たちは神奈川県の大和市に暮らしていた。自宅のすぐ近くには、日本の大動脈である東名高速道路の「大和バス停」があった。そのため、浅草への行き帰りは決まって、高速ハイウェイバスを利用した。
親父はダンプのハンドルを握る前、遠く北海道で観光バスの運転手をしていたという。時は昭和の高度経済成長期。日本中が沸き立ち、誰もが明日は今日より豊かになると信じて疑わなかった時代だ。親父もまた、「一旗揚げてやる」という大志を抱き、好景気の熱波に便乗して北の大地から上京してきたのだった。
それはいわば、昭和という熱い時代が若者たちに見せた、文字通りの「ジャパンドリーム」だった。
バスが都心へ近づくにつれ、ビル群の都心の風景が広がっている。東京駅から電車に乗り換え浅草へと近づくにつれ、私の胸は高鳴った。
正月の境内は、お札やお守りを求める参拝客と、もうもうと立ち込める常香炉の煙で溢れかえっていた。親父と並んで手を合わせ、一年の無事を祈る。しかし、幼い私の本当の目当ては、参拝を終えたその先に広がる、妖しくも魅力的な興行の世界――「浅草六区」にあった。
当時の浅草六区周辺には、古びた映画館や劇場の合間を縫うように、原色の絵看板を掲げた街頭テントの「見世物小屋」がずらりと軒を連ねていた。そこは日常の常識が通用しない、どこか怪しげで、だからこそ子供の好奇心を激しく刺激する異界だった。
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異界の門と、消えない爆音の無限ループ
小屋の前に立つと、太鼓の音とともに、拡声器を通した呼び込みの男の威勢のいい声が、地響きのように頭の上から降ってきた。
「さぁさぁ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 見なきゃ百年目の大後悔! 親の因果が子に報い、生まれた我が子を見てみれば、頭は人間、身体は蛇よ。お立ち会い、これなるは遠く南洋の密林から生け捕りにして参りました、世にも奇妙な『蛇女』でございます! さぁ、幕をくぐればそこは夢か現か幻か。お代は見てのお帰りだよ、さぁさぁ中へ、中へ!」
怪しげな白塗りの化粧をした女の絵看板、そして「親の因果が子に報い」というおどろおどろしいお決まりの口上。当時の私は、この「蛇女」や「ろくろ首」といった奇怪な見世物に、恐怖と裏腹の強烈な憧れを抱いていた。
「親父、俺、あの蛇女が見たい!」
何度もコートの裾を引っ張ってせがんだが、親父は「お前にはまだ早すぎる」と、にべもなく首を横に振った。見世物小屋の奥に広がるアングラな世界は、子供の目には刺激が強すぎるという、大人の良識だったのだろう。結局、私の蛇女への夢は、淡い憧れのまま叶うことはなかった。
その代わりに、親父が私を連れて行ってくれたのが、同じ六区の広場で爆音を轟かせていた「オートバイサーカス(ウォール・オブ・デス)」だった。
薄暗い大型テントの中央には、木製の巨大な半球状の樽が鎮座していた。観客はその木製の壁の上から、すり鉢の底を覗き込むようにしてスタンバイする。下からは、エンジンオイルの匂いと、腹の底を震わせるようなエキゾーストノートが立ち上ってくる。やがて、革ジャンに身を包んだ男たちがバイクに跨ると、拡声器を持った太夫(司会者)が華麗なタンカを切った。
「お集まりの皆様、お待たせいたしました! これより始まりまするは、命を賭けた決死の空中大曲芸、オートバイサーカスでございます! まもなくオートバイが爆走いたします。垂直の壁をつたって、四次元の水平回転。いかに冒険的でありましょうや、いかに男性的でありましょうか! 遠心力の一点のみを頼りに、重力の法則をあざ笑う驚異の爆走。一度走り出せば、右も左も、天も地もない、まさに無限のループ! 息を呑む一瞬、一糸乱れぬ神業の数々を、どうぞ心ゆくまでご覧あれ!」
バリバリバリ! と凄まじい轟音が響いた瞬間、2台のモーターサイクルがすり鉢の底から一気に駆け上がってきた。
真横、いや、ほとんど逆さになりながら、猛スピードで木壁の最上部をぐるぐると無尽蔵に回り続ける。木造の足場がガタガタと激しく揺れ、風圧が私の前髪を吹き飛ばす。さらに恐怖を煽ったのは、2台のバイクが互いに交差するように対面走行を始めた瞬間だった。
「ぶつかる!」
私は恐怖のあまり、親父の太い腕にしがみついた。ほんの数センチでも狂えば大惨事になるに違いない。手に汗を握り、心臓が口から飛び出そうになるほどのスリル。轟音と熱気が渦巻くその空間で、私はただただ圧倒されていた。無事に演技が終わると、安堵と興奮で、割れんばかりの拍手を送ったものだった。
チープな宝物と、親父が狂喜した「バッタ売り」の戦場
スリル満点の興行を楽しんだ帰り道、親父は必ず私に「何かひとつ、好きなものを買ってやる」と言ってくれた。
ある年、私が買ってもらったのは、小さな「2石(にせき)トランジスタラジオ」だった。タバコを一回り大きくしたようなプラスチック製の筐体で、イヤホンを耳に押し込んでダイヤルを回すだけの、今から見ればひどくチープな代物だ。現代のように、一つの小さなチップに何万、何億個ものトランジスタや半導体が組み込まれているデジタル時代からすれば、おもちゃのような構造である。
しかし、当時の私にとって、それは世界に一つだけの紛れもない「宝物」だった。
家に帰って布団の中でイヤホンをつけると、ザーザー、ピーピーという激しいノイズの向こうから、かすかに遠くのラジオ放送が聴こえてくる。感度が悪いからこそ、「今、自分は遠い世界の電波を捕まえているんだ」という実感が湧き、ノイズ混じりの音声がかえって少年の探究心とロマンを激しく揺さぶった。親父がくれたその小さなプラスチックの箱は、私にとって未来へつながる秘密の道具だったのだ。
一方で、親父自身の浅草での楽しみは、他でもない「買い物」だった。
親父は昔から時計が大好きだった。それなら、まっとうな時計店のショーウィンドウをじっくりと眺め回すかと思いきや、親父が引き寄せられるように向かうのは、いつも六区の路地裏で繰り広げられている「バッタ売り(叩き売り)」の最前線だった。
人だかりの中心には、台の上に山ほどの商品を並べ、手に入れた品物を次々と掲げる「香具師(やし)」の男が立っていた。その口上は、まるで落語かリズム楽器のように軽快で、聴いているだけで誰もが引き込まれてしまう魔力があった。
「さぁ、お立ち会い! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい。ここにありまするは、泣く子も黙るおもちゃの数々。おもちゃがひとつ、おもちゃがひとつ、これだけじゃ終わらない。おもちゃがふたつ、みっつと積み上がる。はい、これもおまけだ、よっつ、いつつ、むっつ! さぁ、これだけ積み上がったところで、今日の真打ち登場だ! 見てくれ、この鈍い輝き。そん所そこらの安物とはワケが違う。日本の技術が詰まった、高級紳士腕時計! これらを全部ひっくるめて、そこの旦那、いくらなら買う? 3割4割引きは当たり前、5割引きでもまだ甘い。よーし、正月早々の大盤振る舞いだ、もう一つおまけにこのライターも付けちゃって、これでどうだー!」
「どうだー!」という威勢のいい声とともに、男がバシッと台を叩く。その刹那、周囲の熱気は最高潮に達する。
「買った!」「俺もくれ!」
香具師の放つ強烈なエネルギーと、独特のトランス状態のような熱気に当てられ、周囲の大人たちが次々と財布からお札を取り出して手を挙げた。親父もまた、その熱狂の渦の中で目を輝かせ、「おぅ、俺にもそれ、一つくれ!」と声を張り上げていた。
バッタ売りで手に入れた時計やライターを掴み、親父は子供のように満足気な笑みを浮かべて人だかりを割って出てきた。現代の目で見れば、それはおそらく、海外製の怪しい模造品か、あるいはすぐに壊れてしまうような代物だったに違いない。
「親父、それ本当に動くの? 高い買い物させられたんじゃない?」
私が子供ながらにそう尋ねると、親父はタバコに火をつけながら、「バカ言え、これが買い物の醍醐味ってやつよ」と、悪びれもせずに笑っていた。そこには、騙されているかもしれないというリスクも含めて、その場の掛け合いと「ロマン」を買い、楽しむ大人たちの粋な余裕があった。
今となっては、こうした激しい叩き売りはほとんど姿を消してしまった。上野のアメ横あたりで、年末にバナナの叩き売りや、チョコレートを「これでもか」と菓子袋へ詰め込む威勢のいい声を聞くくらいが関の山である。
日常を彩っていた香具師の口上と、現代のEC
浅草という街は、見世物小屋やバッタ売りだけでなく、古くからこうした「大道芸」や「香具師(てきや)」たちのメッカであった。
昔は彼らのことを敬意と親しみを込めて「香具師」と呼び、彼らが操る変幻自在の口上や、リズミカルに響く鳴子の音は、物販という行為とこの上なく相性が良かった。物を売るということは、単に商品の機能や価格を提示することではなく、一種のエンターテインメントであり、人間関係の構築そのものだったのだ。
そして振り返れば、こうした「声の文化」は、浅草のような特別な盛り場だけでなく、私たちの昭和の日常生活の地続きにも確かに存在していた。
夕暮れ時になれば、「とーふー、いー、とーふー」と哀愁を帯びたラッパの音が路地に響き、近所の主婦たちがボウルを持って家から飛び出してきた。「きんぎょーえ、きんぎょー」という金魚売りの声や、夜遅くにチャルメラの音とともに現れる「夜鳴きそば」、さらには「たーけやー、さおーだーけー」という竹竿売り。移動販売の彼らは、ただ物を売るだけでなく、季節の移り変わりや、一日の時間の終わりを告げる生活の時計でもあった。彼らの声が聞こえることで、町全体が温かい一つの生き物のように機能していた。
それから数十年が経ち、時代は令和を迎えた。
今の主流は「ECコマース(電子商取引)」である。指先一つで画面をタップすれば、世界中のあらゆる商品が翌日には自宅の玄関前に届く。他人の言葉に惑わされることもなければ、粗悪品を掴まされて騙されるリスクも極めて低い。レビューを見れば客観的な評価が一目でわかり、最も安い店舗から、最も効率的に、最もスマートに買い物ができる。
それは間違いなく便利で、安全で、非の打ち所がない素晴らしい時代だ。ノイズ混じりのラジオに耳を澄ませる必要もなければ、動くかどうかわからない時計に大金を叩く必要もない。
しかし、その効率化と引き換えに、私たちは何を失ってしまったのだろうか。
画面の向こうのデジタルな取引には、人と人が生身で触れ合う瞬間の緊張感がない。そこには、言葉の刃を交わすような笑いもなければ、仕掛けられた罠を見破るような騙し合いのスリルもない。何より、あの浅草六区のテントの下で、親父の腕にしがみつきながら感じた、あのユーモラスで、どこかのんびりとした、人間の体温が通った「ロマン」が存在しないのだ。
効率一辺倒の現代だからこそ、時おり、あの騙し騙されの猥雑なエネルギーが恋しくなる。傷だらけのダンプを転がし、バッタ売りの時計を自慢げに見せてくれた親父の笑顔とともに、昭和の浅草が放っていたあの熱気は、今も私の心の底で、消えない爆音のように鳴り響いている。
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。

