かつて浮世絵の華といえば、なんといっても美人画と役者絵、そして名所絵でした。
しかし江戸時代終焉から150年あまり、撮影技術と発信方法の飛躍的進歩によって、美人画・役者絵・名所絵の需要はほぼ消滅しました。実在する人物や事物は、撮影したほうが正確で手っ取り早いというわけです。
高画質な写真や映像を目にすることが当たり前の私たちが、江戸っ子たちが感じていた浮世絵の良さを同じように味わうことは難しいかもしれません。
そんな現代にあっても、江戸時代と変わらず私たちを惹きつけてやまない浮世絵があります。そのひとつが「怖い浮世絵」です。
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今も昔も怖いモノ大好きな日本人
2017年、怖い絵画を集めて開催された「怖い絵」展が、総来場者数68万人を超える大ヒットを記録しました。毎年夏には国内外のホラー映画が多数封切られており、マンガや小説でもホラーは定番ジャンルとなっています。プロの怪談師の怖い話を聴く「怪談ライブ」はジワジワと知名度を獲得していますし、最近では、SNSを利用した生配信のホラー・フェイクドキュメンタリーというジャンルも新しく誕生しています。
今や日本のホラーは花盛りといった様子ですが、浮世絵全盛期だった江戸時代にもホラーは大流行していました。
ゲゲゲの原点 「画図百鬼夜行」鳥山石燕
現在の妖怪のイメージを作った作品といえば、水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」です。1960年代にはじめて発表されて以来、今も新作アニメ映画が制作されるほど根強い人気があり、その後の多くの妖怪作品に影響を与えました。そんな鬼太郎の先祖ともいえる妖怪たちが、江戸時代すでに描かれていました。
それが鳥山石燕(とりやませきえん)の「画図百鬼夜行」です。
石燕は江戸時代中期に活躍した浮世絵師で、妖怪画を多く描きました。
百鬼夜行とは、夜な夜な徘徊する妖怪たちの群れや行進のことをいいます。日本の説話(物語・伝説)集に古くから記述されており、石燕以前にもその様子が描かれてきました。
それまでの百鬼夜行図といえばたくさんの妖怪が行進する図でしたが、石燕は妖怪1体1体を一枚絵として描き、紹介しました。さしずめ、元祖妖怪図鑑といったところでしょう。
「画図百鬼夜行 河童」鳥山石燕
水辺の妖怪といえば河童をイメージする方も多いでしょう。イタズラ好きのお調子者で、人間の子供と相撲をとって遊ぶこともあるといいます。
見た目の特徴は、水かきとかぎ爪のついた手、両生類じみた肌、そしてなんといっても頭のてっぺんにある皿。私たちが思い浮かべる河童像は、石燕が描いた画図百鬼夜行からほとんど変わっていないようです。
石燕の浮世絵に描かれた河童は、水辺の草むらから飛び出したところのように見えます。通りかかったひとを驚かせようとした瞬間なのかもしれません。
「画図百鬼夜行 猫また」鳥山石燕
多くの創作作品に引っ張りだこの猫又も、石燕の浮世絵に描かれています。
図中には3匹の猫が描かれており、左は並みの猫、右はまだ2本足でうまく立てない猫又見習い、真ん中は手ぬぐいをかぶってピシッとポーズを決めた一人前(一猫前?)の猫又です。これは、普通の猫が猫又になっていく過程が描かれているともいわれています。
画図百鬼夜行の妖怪たちは、恐ろしくもどこかひょうきんで、ふっと笑ってしまいそうな愛らしさがあります。
そういった妖怪のイメージはそのまま水木しげるの妖怪マンガへと継承され、日本人が妖怪に抱く親近感につながっています。
泣く子も絶叫するガチ怖浮世絵 「百物語」葛飾北斎
草木も眠る丑三つ時、数名で100本のローソクと100話の怪談を持ち寄り、一話語り終えるごとにローソクを吹き消していく。やがてすべてのローソクが消えた時、本当の怪異が現れる…
というのが、百物語の概要です。
戦国時代には武士のメンタルを鍛えるために行われていたようですが、江戸時代に入ると、お遊びの肝試し的なものに変化し、町民の間で大流行します。
こうした流行の中、葛飾北斎(かつしかほくさい)にも、百物語の浮世絵を描いてほしいと依頼があったようです。天才絵師と名高い北斎はその筆力を余すところなく振るって、百物語の怪異を描き出しました。
「百物語 さらやしき」葛飾北斎
皿屋敷は、非業の死を遂げた女性が亡霊となって現れるという怪談のひとつです。
お屋敷に仕えていたお菊は、主人の大事な皿を割ってしまったためにひどく折檻され、井戸に身を投げて死んでしまいます。まもなく、夜になると井戸の底から「1枚…2枚…」と、皿を数えるお菊の声が聞こえてくるようになり…という筋立ては、見聞きしたことがあるひとも多いでしょう。
北斎が描いたお菊は、一見すると女性の顔を持った蛇のようですが、よく見ると顔から下が皿でできています。
濡れて重たげに垂れ下がった黒髪、生気の失せた青白い肌、無念さをたたえた虚ろなまなざし…亡霊の典型的なシンボルと斬新かつ奇妙な皿の表し方があいまって、恐ろしいのに滑稽で、一種異様な禍々しさを感じさせます。
北斎の独創性が遺憾なく発揮された一枚です。
「百物語 こはだ小平次」葛飾北斎
妻の浮気相手に殺された小平次という役者が、亡霊となって妻とその浮気相手に祟るという物語です。巷に伝わる奇譚(不思議な話、珍しい話)を、江戸時代のベストセラー作家・山東京伝(さんとうきょうでん)が伝奇小説として発表し、四代目鶴屋南北(つるやなんぼく)が改良したことによって、歌舞伎の演目として定番化しました。
沼に突き落とされて死んだ小平次の皮膚はすっかり腐って剥がれ落ち、ほとんど骨だけになっています。恨みをたたえて血走った目と、うっすら笑っているようにも見える口元は、凄惨さに満ちており、怖いのに目が離せなくなります。
夜中にこんな亡霊が自分を覗き込んできたら…と考えたら、大の大人もひとりでトイレに行けなくなりそうです。
北斎の百物語シリーズはこの他に3図、計5図が確認されているのみとなっています。どれも怖がりの方にはオススメできませんが、逆に怖いもの好きな方にはぜひ一度は見ていただきたい作品群です。
百物語と題しておきながら現存する浮世絵が5図しかないのは、単に発見されていないだけなのか、もしくは、あまりに恐ろしいのでもうやめようと企画がストップしてしまったのか…その経緯を考えることもうっすら怖くて、実に百物語的です。
これぞホラーエンターテイメント! 「相馬の古内裏」歌川国芳
歌川国芳(うたがわくによし)は江戸末期に活躍した浮世絵師です。美人画、役者絵、名所絵、戯画と、さまざまなジャンルを描く多才な絵師で、現在残されている錦絵は5300枚以上にのぼります。猫の浮世絵も多く残しており、無類の猫好きとしても有名です。
そんな中でも目を引くのが、大判3枚続きの画面をめいっぱい使って描かれた、迫力あるパノラマ構図の浮世絵「相馬の古内裏」です。
妖術使いの滝夜叉姫(たきやしゃひめ)が召喚した骸骨が、大宅太郎光国(おおやたろうみつくに)に襲い掛かろうとしている一幕です。
この絵の原作は山東京伝の「善知安方忠義伝(うとうやすかたちゅうぎでん)」。平将門の遺児である滝夜叉姫が、兄弟とともに父の無念を晴らすべく朝廷転覆を企てるという、伝記風小説です。
画面左側には、今まさに妖術で骸骨を呼び出した滝夜叉姫が立っています。中央では、源頼信の家臣・大宅太郎光国が、突如現れた骸骨を睨みつけています。右側で光国にねじ伏せられているのは、滝夜叉姫の手下・荒井丸(あらいまる)です。
大判3枚続きの迫力ある浮世絵となっており、リアリティあふれる巨大骸骨の迫りくる様子が、観る者を圧倒します。さながらモンスター映画のワンシーンです。
原作では等身大の骸骨が大量に現れる描写でしたが、国芳は一体の巨大骸骨の出現に改変することで、この強烈なインパクトを演出しました。
近年では、相馬の古内裏をオマージュした人気マンガ作品の浮世絵版画も作られています。
優れた作品の魅力が、時代を超えて多くの創作作品に影響を与えていることが伺えます。
終わりに
怖い絵というのは浮世絵以前から存在していましたが、浮世絵木版画が一般化したことによって、さらに広く共有されました。肉体を持たなかった妖怪や幽霊が、浮世絵に描かれ多くの人間に認知されることによって、はじめてその実体を得たともいえるでしょう。
浮世絵というメディアの存在が、さまざまな事物のイメージを共有することにいかに貢献してきたかということが、怖い浮世絵の存在によって浮かび上がってきます。
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担当
小川芳朋
編集部
西洋陶磁器が専門。 美しい物と怖い物について書いています。 アンティーク食器のほか、蚤の市、廃墟、妖怪に詳しい。