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美人画ってどんなもの?意外と知らない美人画の基本
絵画には風景画や静物画、宗教画などさまざまなテーマがありますが、そのなかでも女性を題材とした絵画は、時代ごとの美的感覚や画家の価値観を映し出す存在として、独自の発展を遂げてきました。
日本の美術史を紐解くと、女性が描かれた日本最古の例は、飛鳥時代(593年-710年)の高松塚古墳壁画とされています。こうした女性像はその後の時代にも制作されますが、当初は身分の高い人物が主な被写体であり、絵を鑑賞する文化も庶民に広く浸透していたとはいえませんでした。
しかし江戸時代に入り、長期的な平和によって人々の生活や経済が安定すると、価値観は大きく変化します。風俗画の広がりや浮世絵の技法の成立を背景に、大衆が絵を楽しむ機会が増え、町の看板娘や遊女など、多様な女性像が描かれるようになりました。ただしこの頃はまだ「美人画」というジャンルは確立しておらず、「美人絵」や「女絵」として認識されていました。
こうして江戸時代に花開いた女性モチーフの作品は、明治以降も活発に制作され、やがて大正時代を迎えると、竹久夢二の登場や大正ロマンの潮流と相まって、美人画は広く人々に親しまれるジャンルとなっていきました。
「美人画」は日本独自の美意識から発展したジャンル
ところで、西洋画にも女性をモチーフとした人物画は数多く存在しますが、「美人画」という概念は日本独自のものです。
日本では平安時代頃から、今日でいう「美しい」とほぼ同じ意味を持つ言葉として「きよら」「きよげ」が使われていました。これらは「汚れのない」「曇りのない」といった意味を持ち、『源氏物語(桐壺の巻)』や『更級日記』にも登場します。このように、もともと日本人には、清らかさを美とする独自の美意識がありました。
そしてこの美意識は、不要なものをそぎ落とす「省略の美学」へとつながっていきます。西洋画が画面全体に多くの要素を描き込むのに対し、日本では背景描写を控えめにして、人物そのものに焦点が当たる表現が発展しました。
この「省略の美学」は美人画にも応用され、女性そのものの美を際立たせるために、多くの画家がそれぞれの理想とする美を追求していきました。したがって美人画は、単に容姿の優れた女性を描くだけでなく、画家の思う、あるいは時代が求める美を体現した「理想の女性像」として発展していったのです。
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鏑木清方
鏑木清方(かぶらき きよかた/1878-1972年)は、「美人画」といえば必ず名前が挙がる近代日本画の巨匠です。
父は東京日日新聞(現・毎日新聞)の創立者の一人であり、幼少期から文芸に親しむ環境にありました。清方は挿絵画家を志し、明治期の浮世絵師・日本画家である水野年方に師事します。その後は10代の頃から挿絵画家として活躍し、20代半ばにはすでに人気作家となっていましたが、30歳を前に日本画へと軸足を移し、浮世絵の流れをくむ美人画を数多く手がけていきました。
清方の描く女性は、細身で手足がすらりと長く、白く柔らかな肌や美しい髪を持つ、理想的な姿で表現されています。しかしその魅力は外見だけにとどまりません。仕草や佇まい、ふとした表情のなかに、人物の内面を感じさせる繊細な描写こそが、清方作品の真骨頂といえるでしょう。
例えば、当社が買取させていただいたこちらの作品をご覧ください。

鏑木清方(かぶらき きよかた)による美人画の掛け軸
駕籠(かご)の前に佇む女性たちが煙管を手にしているこの場面は、火をもらう女性の表情から、長旅の疲れや束の間の休憩に少しほっとしているような心の動きが自然と伝わってきます。このように、何気ない一瞬から奥行きのある物語を想像させる点も、清方作品の大きな魅力といえるでしょう。
なお、鏑木清方は美人画だけでなく、市井の人々の風俗も幅広く題材にしており、近代日本の生活や文化を伝える画家としても大変重要な存在と言われています。
上村松園
鏑木清方を東の美人画の名手とするならば、西の美人画の名手は上村松園(うえむら しょうえん/1875-1949)といえるでしょう。清方が日常のワンシーンを切り取るように女性を描いたのに対し、松園は物語や歴史に登場する女性をモチーフにした作品を多く残しました。また、自身の理想とする「美人画」というものを徹底追及するために、喜多川歌麿をはじめとする浮世絵師が描いた美人画や、円山応挙から連なる円山・四条派といった京都画壇の表現様式など、幅広い作品を研究していたことも特徴的です。自身の目指す究極の「美人画」へ到達するために生涯を駆け抜けた松園は、女性画家が非常に少なかった当時において、同じ時代を生きる若い女性たちの指針ともなりました。その功績が称えられ、晩年の1948年(昭和23年)には女性で初めての文化勲章を受賞しました。

上村松園の美人画の掛軸
竹久夢二
大正ロマンを語るうえで欠かせない画家が、竹久夢二(たけひさ ゆめじ/1884-1934)です。長いまつげと大きな瞳、どこか憂いを帯びた表情の女性像は「夢二式美人」と呼ばれ、明治末期から大正期にかけて絶大な人気を集めました。特に夢二の代表作のひとつ「黒船屋」は、日本画の技法と西洋的な感覚が融合した夢二の成熟期の作品であり、西欧文化が流入した大正時代のモダンな空気を象徴する一作として知られています。
なお、夢二は画家としてだけでなく、詩人や商業的デザイナーとしても才能を発揮し、東京・日本橋では自らデザインした千代紙や絵葉書を販売する「港屋絵草紙店(みなとやえぞうしてん)」という店も手がけました。現代でいうマルチクリエイターの先駆けともいえる人物ですね。

竹久夢二 木版画「夕涼み」
伊東深水
伊東深水(いとう しんすい/1898-1972)は、鏑木清方や上村松園と並び称される美人画の代表的な画家の一人です。
父親の事業の失敗から家計を助けなければならず、看板屋への奉公や印刷工場での労働など、幼少期から苦労を重ねていました。しかし絵を描くことが好きだった深水は、労働後に夜間学校に通い、寝る間を惜しんで作品を制作する日々を送るうち、その実力が認められ、13歳の時に鏑木清方に師事しました。深水は大変な努力家でありましたが、才能についても天性のものをもっており、師事からわずか2年後の15歳で、若手日本画家の登竜門といわれる「巽画会(たつみがかい)」にて1等褒状を受賞。その後も再興院展(通称:院展)や文部省美術展覧会(通称:文展)でも十代のうちに立て続けに入選を重ね、その実力の高さが広く認められていきました。
ちなみに伊東深水の娘は宝塚歌劇団や芸能界で華々しい活躍を遂げた朝丘雪路さん。深水は雪路さんを大変可愛がり、指を怪我してはいけないからと、一人で傘を広げることも禁止させたほどの溺愛ぶりだったとか。

伊東深水「千草の庭」
奥が深い「美人画」の世界
日本独自の発展を遂げた「美人画」には、画家の数だけ追い求められた多様な「美人像」が存在します。鏑木清方は市井の女性を題材にし、上村松園は物語や歴史上の女性を描き、竹久夢二や伊東深水は愛した女性をモチーフに作品を制作しました。「美人画」という一つのジャンルであっても、完成させるまでのアプローチや創作の源泉となるものは画家によって様々だったことも興味深いですね。
美人画といえば古美術永澤
人気ジャンルであることを裏付けるように、古美術永澤ではこれまでにも多くの美人画をお譲りいただいてきました。
専門知識を持つ経験豊富な目利きが一点一点丁寧に「美人画」を拝見いたします。飾らなくなってしまった作品などございましたら、ご整理前にぜひお気軽にご相談ください。日本の美意識が込められた作品を、古美術永澤は次世代へ引き継ぐお手伝いをさせていただきます。
参考文献:
・美人画の系譜-鏑木清方と東西の名作百選 福富太郎コレクション(青幻社)
・美人画の系譜-心で感じる「日本絵画」の見方(高階秀爾監修・著/小学館)
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お役立ちコラム編集室 MIYO
サイトコラム編集者
猫と藤田さんの作品が好き。お片付けや美術品を持つ方のお役に立てるコラムを定期更新中です。
