
リップ(LIP) 懐中時計
発明のはじまり
15世紀末から16世紀初頭、ぜんまい仕掛けの小型時計が登場し、巨大な塔時計は「持ち運べる時間」へと姿を変え始めました。
ドイツの時計師ペーター・ヘンラインが、1510年ごろに作った小型の「ポケットクロック」、後に「ニュルンベルクの卵」と呼ばれる小型時計は懐中時計の祖の一つと考えられています。丸いというより、金属の小さなドラム缶のような姿で、精度も1日で大きく狂う、今の感覚からすれば「かわいい失敗作」に近いものでした。それでも「個人が自分だけの時間を持ち歩ける」というのは、とてつもない革新でした。懐中時計は科学というより、まずは権力と富の象徴として生まれたのです。
精度とデザインの黄金期
17世紀後半、ホイヘンスらによるテンプとヒゲぜんまいの発明で、懐中時計の精度は一気に向上します。日差が数十分から、数分単位へと縮まり、「見栄の道具」か「実用の計器」に変わっていきました。17世紀ごろには男性服にポケットが付き始め、「ポケットに入れる時計」がヨーロッパ社会に定着します。
航海や測量、鉄道などで正確な時間が要求されるなか、懐中時計は構造も精度も大きく進歩し、約250年ほど「時間の王様」の座に君臨しました。 同時に、ケースには金銀やエナメル、ギヨシェ彫りが施され、「懐中時計をどう取り出し、どう見せるか」が紳士の美学になります。ベストのポケットからチェーンをすっと引き出すその所作は、時間を確認する以上に、「自分の時間感覚」を演出する身ぶりだったとも言えます。
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産業と近代社会を走らせた時計
19世紀になると、懐中時計は産業とインフラの神経系になります。特に鉄道では、わずかな狂いが大事故に直結するため、「レイルロード・ウォッチ」と呼ばれる高精度懐中時計が規格化されました。アメリカでは19世紀末の列車衝突事故を契機に、統一された「鉄道時間」と厳格な時計規格が定められ、懐中時計は社会全体の時刻を揃えるための標準機になっていきます。
このころの懐中時計は、もはや美術品と計器の中間のような存在です。分厚いケースの中には、精密に量産された歯車とネジがびっしりと並び、裏蓋を開けると、小さな工場を覗き込んでいるような迫力さえありました。
腕時計の登場と静かな退場
しかし「時間を取り出す」という動作そのものが、やがてハンディキャップになっていきます。20世紀初頭、第一次世界大戦を契機として腕時計が台頭するからです。 戦場では、片手で銃を持ちながら、もう片方の手で時計を取り出し、蓋を開けて時間を読むという余裕はありませんでした。そこで、懐中時計のムーブメントにラグとストラップを付けた「トレンチウォッチ」が第一次世界大戦で広く使われ、腕時計は兵士の必需品になります。懐中時計は、実用という舞台から静かに退場を始めました。
戦後、腕時計が市民生活にも浸透すると、懐中時計は「基本的な時間の道具」から「鉄道員や一部の専門職、フォーマル用のアクセサリー」へと役割を縮小していきます。第二次世界大戦後、1950年代以降に腕時計が大量生産されるようになると、懐中時計は日常からほとんど姿を消しました。さらに1960~70年代のクオーツ革命は、「正確さ」という最後の優位性すら機械式懐中時計から奪ってしまいます。もはやポケットに入る最先端は時計ではなく、後に登場する電子機器やスマートフォンへと受け継がれていくことになります。
「過去の主役」の現在地
そうして主役の座を降りた懐中時計ですが、舞台袖から完全に消えたわけではありません。19世紀のスイス製エナメル懐中時計や、アメリカの鉄道時計は、今もコレクターの間で高い人気を誇ります。小さなケースの中に圧縮された技術史と、当時の装飾感覚が、手のひらの上で「読み解ける遺跡」のように感じられるからです。さらに近年は、クラシックなスリーピーススーツやレトロスタイルの流行とともに、一部ブランドが新作の懐中時計やポケット仕様モデルを出す動きも見られます。とはいえ、その役割はもはや「時間を知るため」ではなく、「どう時間と付き合うかを表明するため」のアクセサリーに近いでしょう。スマートフォンという「現代の電子懐中時計」がポケットを占領し、腕にはスマートウォッチが戻ってきた今、機械式の懐中時計は、現代の片隅に奇妙な居場所として佇んでいるのです。
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。
