目次
はじめに
激動と変転の昭和という時代は、日本の美術界、とりわけ骨董美術の受容と評価において、極めて多層的な変化を経験した時代であった。明治維新によって近代化の道を歩み始めた日本において、それまでの価値体系は一度解体された。しかし、昭和に入ると、骨董は単なる過去の遺物から、時代の精神を映し出す鏡、あるいは人々のアイデンティティの拠り所として、全く新しい相貌を帯びて人々の前に立ち現れることとなる。本稿では、昭和という時代を縦軸に、骨董美術がどのように愛でられ、どのような変遷をたどったのか、その諸相を追ってみたい。
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第一章:激動の幕開けと骨董の変容
関東大震災(大正12年)の傷跡がまだ生々しく残る中、昭和金融恐慌をはじめとする経済的混乱の中で昭和が幕を開けた。こうした不安な時代背景において、人々は精神的な拠り所を古美術に求めた。特筆すべきは、大正から昭和初期にかけて活躍した「数寄者」たちの存在である。益田鈍翁(ますだどんのう)や原三渓(はらさんけい)といった実業家たちは、茶の湯の精神を背景に持ちながらも、従来の権威的な鑑定にとらわれない自由な美意識で名品を蒐集した。彼らの存在は、限られた特権階級のものであった古美術を、近代的な教養としての骨董へと引き上げる役割を果たしたのである。
同時に、この時期には西洋美術の思潮も流入し、和洋折衷の生活空間の中で骨董がどのように配置されるかという、新たな空間芸術としての骨董のあり方も模索され始めた。
第二章:戦時下の統制と美術品の疎開
昭和十年代後半に入ると、日中戦争から太平洋戦争へと至る戦時体制の中で、骨董美術もまた大きな受難の時代を迎えることとなる。戦時中に実施された金属回収政策は、寺院の梵鐘だけでなく、民間に伝わる古銅器や青銅製の茶釜など金属製の茶道具にまでその魔の手を伸ばした。美術品は「ぜいたく品」として排斥され、多くの名品が溶かされる危機に瀕したのである。
しかし、こうした過酷な状況下にあっても、美術商や愛好家たちは機転を利かせた。彼らは道具商のネットワークを駆使し、価値ある美術品を東京などの大都市から地方の蔵へと疎開させ、あるいは地方の旧家と連携して文化財を密かに保護した。戦時下の骨董は、単に隠匿されるべき対象ではなく、日本文化の命脈を次世代へとつなぐための「防空壕」の中にあったと言える。
第三章:戦後の復興と「用の美」の再評価
昭和二十年、敗戦という絶望的な状況から日本は復興への歩みを始めた。連合国軍総司令部(GHQ)による占領下、多くの美術品が海外へ流出する危機に直面したが、同時に、進駐軍の将校たちの中には日本の古美術の価値を見出す者も現れた。この時期の骨董界において大きな転機となったのは、白洲正子らが柳宗悦の提唱した「用の美」の思想を広く紹介し、古美術の新たな魅力を再評価したことである。
それまでの骨董といえば、高価な中国の陶磁器や、桃山時代の豪奢な茶陶といった「見せるため」の美術品が主流であった。しかし、白洲らは、無名の職人によって作られた日常雑器や、朝鮮半島の白磁、あるいは古染付といった、市井の道具の中にこそ宿る真の美しさを提唱した。生活空間にさりげなく古伊万里や瀬戸の小壺を飾るというスタイルは、戦後の新しいライフスタイルとして定着し、骨董をより身近なものへと変貌させたのである。この「用の美」の概念は、柳宗悦らが提唱した民藝運動とも共鳴し、昭和の骨董愛好の大きな支柱となった。
第四章:経済成長とバブル期の爛熟
昭和四十年代に入ると、日本は高度経済成長期を迎え、国民の生活水準は飛躍的に向上した。この経済的なゆとりは、骨董市場にも劇的な変化をもたらした。古美術品がひとつの「投資対象」としての側面を強め、オークションなどでの価格が高騰し始めたのである。デパートの美術画廊では頻繁に古美術展が開催され、一般の愛好家でも名品を購入する機会が増えた。
この傾向は、昭和末期から平成初頭にかけてのバブル期に頂点に達する。莫大な余剰資金が美術品市場に流れ込み、国内外の著名な骨董が驚異的な価格で取引されるようになった。この時期の骨董美術は、時に投機の対象として批判の目に晒されることもあったが、一方で、全国各地に美術館が設立される契機ともなった。企業メセナとしての美術館活動が活発化し、個人の蒐集品がパブリックなコレクションとして公開されることで、多くの人々が一流の骨董美術に触れる環境が整ったのである。
第五章:昭和が遺した美の遺産
昭和という時代は、骨董美術を「権力の象徴」から「生活の彩り」へ、そして「社会の共有財産」へとシフトさせた時代であった。激動の歴史の中で、失われたものも少なくない。しかし、数寄者たちの美意識、戦時下の保護活動、そして戦後の「用の美」の発見といったプロセスを経て、骨董は日本人の心の中に確固たる位置を占めるようになった。
今日、私たちが美術館やギャラリーで古美術を鑑賞する際、あるいは日々の生活の中に古い器を取り入れて楽しむ際、そこには昭和という時代を生きた先人たちの眼差しと、美に対する深い愛情が息づいていることを忘れてはならない。昭和の骨董美術の諸相は、単なるモノの歴史ではなく、日本人が西洋化の波の中でいかに自らの伝統と美意識を再定義し、それを未来へ繋ごうとしたかという、精神の軌跡そのものであると言える。
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。

