圧倒的な存在感を放つ究極の“木彫りの熊” 北海道を代表する木彫家・柴崎重行の世界

彫刻・ブロンズ買取 2026.09.19

1 昭和世代なら誰もがすぐ分かる、お土産の“木彫りの熊”

木彫りの熊の歴史は100年以上、尾張徳川家当主のアイデア商品

昭和世代なら、祖父母の家の仏壇周りや床の間、電話台や玄関の上などで良く見たであろう木彫りの熊の置物。リアル志向で鮭をくわえているものもお馴染みでした。郷土玩具、土産物としても定番だったため、誰が買ったかもらったか分からないけど、なぜか家にある…そんな存在。
熊の彫刻の歴史は、約100年ほど前に遡ります。道南に位置する現在の八雲町辺りには、旧尾張藩出身の人々が多く入植していました。大正13年(1924年)、当時の尾張徳川家当主だった徳川義親が八雲町を訪れ、農民たちの生活の改善を試みます。義親は旅行先のスイスで見たペザントアート(農民美術)を思い出し、木彫りの熊の制作を推奨したのです。同年に開催された第1回八雲農村美術工芸品評会に、北海道初の木彫りの熊が出品されています。その後、多くの木彫り熊作家を輩出し、独自の進化を遂げていくことになります。
ちなみに、鮭をくわえているのは旭川市発のもの。1926年(昭和元年)にアイヌの松井梅太郎が木彫りの熊を作成、生産が盛んになったんですが、八雲町のものとの違いを出そうとしたのか、鮭を追加したようです。
収入が少なくなる農閑期の仕事として、また文化的な楽しみとして木彫りの熊が制作され、次第に北海道の代表的な土産物としての地位を確立していったのです。

2 木彫り熊の世界に革命を起こした“野生の彫刻家”柴崎重行

リアル志向の木彫りではなく、ザックリした独自すぎる作風

木彫りの熊の世界も奥深く、よくある黒い木彫り熊だけでなく、様々な種類があります。特に八雲町辺りは独自発展した“抽象熊”で知られており、現代でも大人気の作家が生まれた地でもあります。コロッとした風情、荒削りなノミの味わい、そして17世紀の仏師、円空の趣も感じさせる独自の芸術性。柴崎重行は、オンリーワンの魅力を持った彫刻家として知られています。
柴崎は明治38年(1905年)、北海道山越郡八雲町鉛川に生まれました。農民として暮らしていましたが、手先が器用だったのでしょう。大正13年(1924年)に八雲村農民第1回木彫講習会に入会、活動を開始しました。昭和3年(1928年)に八雲農民美術研究会が発足、柴崎も指導者的な役割で後進育成に励みつつ、自身の作品を多く作成していきました。
柴崎の作品は面や線を大胆に削ぎ落とし、非常に独特な風合いが特徴です。“木塊”と称される独自のフォルムは抽象的でありながら、しっかり熊だと分かるもの。鉈や斧も用いた荒削りな作風ですが、得も言われぬ味わいがあるものばかりです。
八雲町で独自の作品を作り続けた柴崎が注目されたのは、昭和45年(1970年)、東京の銀座松屋デパートで行われた第1回北海道クラフト展に出品し、話題になったところからです。北海道の木彫りの熊は、昭和初期には圧倒的な土産物として君臨していました。戦後になると国内観光ブームが起こり、土産物の需要が一気に増加。最盛期には八雲町で年間5000体が生産されていたといわれています。昭和40年代はその人気のピークともいえる時期であり、その中でも柴崎の作品の圧倒的存在感は抜きん出たものだったようです。

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3 柴崎の独特すぎる作風の芸術性が日本全土にバレ始めた

テレビ出演をきっかけに、全国区で柴崎の作品への評価が一気に上昇

昭和49年(1974年)には『柴崎重行の作風について』と題された小冊子が発刊されます。昭和51年(1976年)には北海道放送(HBC)が放送していたローカルワイド番組『パック2』で「手作りの詩・木塊に挑む」と題されたドキュメンタリー番組も放送されます。柴崎の存在がどんどん知られていくことになりました。
昭和54年(1979年)に函館ギャラリーで「柴崎重行展」が開催。柴崎の作品はついに土産物どころか芸術作品としてしっかりと評価されることになります。昭和56年(1981年)にはNHK総合で柴崎と、詩人でアイヌ文化研究家の更科源蔵が出演したドキュメンタリー番組『原野に彫る』が放映されます。ついに全国区となった柴崎は、自宅近くの木々の間で、切り株の上で作品を作る姿を見せました。その独特な制作過程と作品の持つ“強さ”が一気に日本全土に知られることになったのです。
その後も拠点である八雲町中心に展覧会などを行い、柴崎のファンは全国的に増えていきます。木彫りの熊は産業としては徐々に衰退していきましたが、芸術性の高い柴崎の作品は長くに渡って愛され続けました。平成2年(1990年)には東京の丸の内三菱ギャラリーで「木塊展」が開催され、再評価が盛り上がります。同年には札幌にあった画廊「ぴなこてか・あにむす」で「木塊・柴崎重行80年の軌跡展」も開催されるなど、その価値は上がり続けました。
周囲の盛り上がりをよそに、マイペースに制作を続けていた柴崎でしたが、平成3年(1991年)10月17日に死去します。しかし、柴崎の熊の人気は、今でも非常に高いままです。

4 柴崎独自の“ハツリ彫り”はまるで仏像のような風合い

八雲町独自の作風を確立させ、さらに独自の彫り方を追求

木彫りの熊は多くが“リアル”を追求した“毛彫り”で毛の流れを出すものが主流でした。昭和6年(1931年)には、柴崎自身も毛彫りの熊の面を作成して第7回道展に入選を果たしています。
しかし、八雲町では柴崎中心に、次第に毛を彫らずに面だけで熊を表現した独自の“面彫り”の熊が主流になっていきます。そこからさらに柴崎が発展させたのが“ハツリ彫り”となります。手斧などで木を割った面や、削った痕跡をそのままに、まさに荒削りな風合いをまとわせるのです。まずは割ってみないとどんな熊になるのか分からない。割って削っているうちに、形が見えてくる制作法となります。滅多に人里に降りずに山の中で独自に作品を作り続けた柴崎の作品はやはり一味違い、芸術品としても非常に高く評価されています。
その後の昭和期における柴崎人気もあり、“ハツリ彫り”の熊を作る職人も数多く存在しましたが、平成、令和と時をへるごとに木彫り熊職人も減少。木彫り熊の元祖である八雲町でも少数の人が趣味として彫っているのが現状です。しかし、できれば後世に伝えていきたいと、現在も八雲町郷土資料館では「八雲木彫り熊展示室」が設けられ、木彫り熊の伝統を展示しています。2026年も企画展として「生誕140年没後50年記念 徳川さんの八雲滞在記」と題し、戦前の作品を中心に八雲町の木彫り熊を展示しているそうです。
生々しい“木”そのものの質感なのに、そこには座ったり、歩いたりする“熊”の姿が見えてくる。柴崎の作品は、一種の仏像にも似た味わいがあります。昔見たお土産の熊とは全く別物の“アート”として楽しんでほしいものです。

担当

宮司泰輔

サイトコラム編集者

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