
目次
「決めないこと」から生まれる表現
音楽を演奏するときには楽譜があり、演劇には台本があり、絵画や彫刻には作者があらかじめ思い描いた完成形がある――。
私たちは芸術作品に対して、どこかそのようなイメージを抱いています。
しかし20世紀以降の芸術を振り返ると、「あらかじめ決めておかないこと」そのものを創作の方法として取り入れた芸術家たちが数多く現れました。
そこで重要になったのが、「インプロビゼーション(即興)」です。
即興というと、その場の思いつきで自由に演奏したり演じたりすることを連想するかもしれません。しかし実際には、長年培われた技術や経験をもとに、目の前で起きていることへ瞬時に反応し、新しい表現を組み立てていく行為でもあります。
特に既存の芸術形式を問い直してきた前衛的な表現の中では、即興は重要な方法のひとつとなりました。
本稿では「完成形をあらかじめ決めない」という発想が、芸術をどのように変えてきたのかを見ていきます。
ジャズが示した「同じ曲なのに同じではない」世界
インプロビゼーションという言葉から、多くの人がまず思い浮かべるのはジャズではないでしょうか。
ジャズでは、その成立期から即興演奏が重要な役割を担ってきました。
同じ楽曲を演奏していても、奏者によってフレーズは変わります。その日の気分や会場の雰囲気、共演者が鳴らした一音によって、その後の演奏がまったく異なる方向へ進むこともあります。
つまり楽曲は固定された完成品ではなく、演奏されるたびに新しく作り直されるものでもあるのです。
1950年代後半以降になると、こうした即興性をさらに押し広げようとする動きが現れます。
マイルス・デイヴィスらによるモード・ジャズでは、複雑なコード進行への依存を抑えることで、演奏者が旋律を展開できる余地が広げられました。
さらにオーネット・コールマンらが切り拓いたフリージャズでは、従来のコード進行や調性、拍子などの枠組みに必ずしも従わない演奏が試みられます。
ここで重要なのは、「何でも好きに演奏する」ということではありません。
むしろ相手が発した音を注意深く聴き、それにどのように応えるのかという緊張感が、それまで以上に求められるようになります。
一人の奏者が音を出せば、別の奏者がそれを受け取り、新しい音で返す。その応答をまた別の奏者が受け取る。
こうして、誰も最初から完成形を知らない音楽が、その場で立ち上がっていきます。
インプロビゼーションとは、「自由であること」と同時に、「他者の表現を聴くこと」でもあったのです。
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「即興」と「偶然」は同じものなのか
20世紀の前衛芸術を考えるとき、「即興」とよく並べて語られるものに「偶然性」があります。
しかし、この二つは同じものではありません。
即興では、演奏者や表現者がその場で判断しながら次の行為を選択します。
一方、偶然性を用いる芸術では、作者自身にも結果を決められない仕組みを作品の中へ取り入れることがあります。
この考え方を大きく発展させた人物のひとりが、アメリカの作曲家ジョン・ケージでした。
ケージは、作曲家自身の好みや意思によってすべてを決めるのではなく、偶然に生じた結果や周囲の環境音も作品として受け入れる方法を探求しました。
その思想を象徴する作品として知られているのが、1952年に発表された『4分33秒』です。
この作品では、演奏者が定められた時間、意図的な演奏を行いません。しかし、その間も会場は完全な無音になるわけではありません。
観客が動く音、咳払い、空調の音、建物の外から聞こえてくる音。
普段なら「音楽ではない」と考えられていた音が、作品を聴くという状況に置かれることで、突然意識されるようになります。
ここでは、作曲家が音を完全に支配するという従来の考え方そのものが問い直されています。
「何を演奏するか」だけでなく、「何を音楽として聴くのか」。
20世紀の芸術は、作品そのものだけでなく、それを見る側、聴く側の意識まで表現の一部として捉えるようになっていったのです。
完成した「物」から、その場で起こる「出来事」へ
こうした考え方は音楽だけにとどまりませんでした。
20世紀後半の美術では、完成された絵画や彫刻を展示するだけではなく、芸術家自身の行為や、その場で起きる出来事を作品として提示する表現が広がっていきます。
ハプニングやパフォーマンス・アートなどは、その代表例です。
そこでは、作品が始まる前から結末まで完全に決められているとは限りません。
芸術家の身体、会場の構造、観客の反応、予期せぬ出来事などによって、作品そのものが変化していきます。
従来の美術作品であれば、一枚の絵や一体の彫刻が完成すれば、その形は基本的に残り続けます。
しかしパフォーマンスの場合、その瞬間が終われば同じ出来事を完全に再現することはできません。
この「一度しか起こらない」という性質は、インプロビゼーションとも深く結びついています。
芸術作品は必ずしも永遠に残る物でなくてもよい。
その場で生まれ、その場で消えてしまう出来事も芸術になり得る。
こうした発想は、それまでの「作品とは何か」という考え方を大きく広げることになりました。
技術が必要だからこそ即興できる
即興という言葉には、「準備をせず、その場で何とかする」という印象があります。
しかし芸術におけるインプロビゼーションを見ると、むしろ反対の側面が見えてきます。
ジャズ奏者がその場で自在に旋律を作り出せるのは、楽器の演奏技術や音楽理論、そして膨大な演奏経験があるからです。
身体表現の世界でも同様です。
身体を自由に動かしているように見えるパフォーマーも、自らの身体について長い時間をかけて研究し、動きや呼吸、空間との関係を身につけています。
即興とは、技術を必要としない表現ではありません。
むしろ身につけた技術を、決められた手順を再現するためではなく、予想外の出来事へ対応するために使う方法ともいえます。
「何をするか決まっていない」という状況で、これまで身につけたものをどのように使うのか。
そこに即興表現の面白さがあります。
コンピュータも即興の相手になる時代
現在では、インプロビゼーションの相手は人間だけではなくなっています。
電子音楽やメディア・アートでは、人間とコンピュータがリアルタイムに関わりながら作品を生成する表現が行われています。
そのひとつが「ライブ・コーディング」です。
ライブ・コーディングでは、プログラムのコードをその場で記述したり変更したりしながら、音楽や映像を生成していきます。
演奏者が楽器を弾く代わりに、プログラムそのものをリアルタイムに操作する、と考えると分かりやすいでしょう。
また、一定のルールやアルゴリズムをもとに作品を生成する「ジェネレーティブ・アート」では、作者自身も最終的な結果を完全には予測できないことがあります。
ここでも興味深いのは、人間がコンピュータを単なる道具として完全に支配するのではなく、コンピュータから返ってきた予想外の結果を見て、次の行動を変えていくことです。
ジャズ奏者が共演者の音を聴いて次のフレーズを決めるように、現代ではコンピュータが返した結果を受けて、人間が次の表現を選択することもあります。
即興という古くから存在する表現方法が、新しい技術によって別の形へと更新されているのです。
「完成していないこと」が作品になる
インプロビゼーションの歴史を振り返ると、そこには芸術についての興味深い考え方が見えてきます。
一般的には、芸術家が構想を練り、それを完成させたものが「作品」だと考えられています。
しかし即興表現では、完成するまでの過程そのものに大きな意味があります。
何が起こるかわからない。
失敗する可能性もある。
予定とは違う方向へ進んでしまうかもしれない。
それでも、その瞬間に生まれた出来事を受け入れ、次の表現へつなげていく。
20世紀以降の前衛的な芸術家たちが即興や偶然性に惹かれた理由のひとつも、そこにあったのでしょう。
それは単に奇抜な作品を作るためではなく、「作品とは完成された物である」という、それまで当たり前だった考え方そのものを問い直す方法でもありました。
消えていく芸術を、何が現在へ伝えているのか
即興やパフォーマンスには、一つの興味深い問題があります。
その場限りの表現は、終わってしまえば形として残らないことがあるという点です。
現在、過去の前衛音楽やパフォーマンスについて知ることができるのは、演奏や上演そのものだけが理由ではありません。
公演を告知したポスターやチラシ、パンフレット、プログラム、写真、レコード、録音資料、雑誌、書籍など、周囲に残された数多くの物が、その活動の姿を現在へ伝えています。
当時は単なる告知物や記念品として扱われていた一枚の印刷物でも、作品や公演そのものが失われた後には、その時代の芸術を知る重要な手がかりになることがあります。
また、前衛芸術の周辺では、著名な美術家やデザイナーがポスター、ジャケット、舞台美術などを手がけている例も見られます。
そうした品は、音楽や演劇の記録であると同時に、グラフィックデザインや現代美術の資料という別の側面から評価されることもあります。
古美術永澤では、絵画や版画をはじめ、古書、写真、ポスター、レコード、パンフレット、美術・芸能関係資料など、さまざまなお品を拝見しています。
ご自宅やご実家、書斎などを整理した際、「何の資料かわからない」「古いイベントの印刷物だから」と処分されそうになる品のなかにも、制作年代や作家、内容、来歴、希少性などを調べることで、その価値が見えてくる場合があります。
かつて一瞬だけ生まれて消えていった表現を、数十年後の現在まで伝えているもの。
それは意外にも、何気なく残された一枚の紙や一冊の冊子なのかもしれません。
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。
