
私たちが足を踏み入れる東京湾の埋立地は、しばしば都市の裏側、あるいは無機質な空間として片付けられがちです。しかし、建物もまばらな広い土地の向こうに空が開け、海からの風が草を揺らす風景を前にすると、そこには大都市・東京とは思えない「荒野」のような趣があります。
人はなぜ、こうした何もない広大な風景に惹かれるのでしょうか。便利で整然とした都市に暮らしているからこそ、管理され尽くしていない空間や、どこまでも続く空と大地に、自由や未知への憧れを重ねるのかもしれません。
現在の東京湾に広がる埋立地には、高層ビルや物流施設、港湾設備が立ち並ぶ一方、その狭間には広大な空や草地、水辺が残されています。それらは、ときに現実の都市から切り離された「荒野」のような雰囲気を帯びています。
本稿では、東京湾埋立地の変遷を概観し、そこに息づく生態系の変化と文化的側面をたどりながら、都市の中に残された「荒野」のような風景が私たちを惹きつける理由について考えてみたいと思います。
目次
都市の発展とともに生まれた「荒野」
東京湾の埋め立ての歴史は、決して新しいものではありません。古くは江戸時代から、都市の拡大に伴って浅瀬が埋め立てられ、海面は徐々に陸地へと姿を変えていきました。しかし、その速度と規模が劇的に変化したのは、やはり戦後の高度経済成長期以降です。
急激な人口増加と工業化に伴い、東京湾の一部は廃棄物の処分場として利用されるとともに、工業用地や港湾施設など、新たな都市機能を支える土地として造成されていきました。この時代、埋め立ては都市の発展を支える重要な事業であり、効率的な都市機能の拡大が優先されていました。
高度経済成長期の只中において、東京湾の埋立地には大量の廃棄物や土砂が運び込まれ、巨大なクレーンやトラックが行き交う、現在とは大きく異なる風景が広がっていました。
そこは急速な都市化と経済成長の過程で生まれた、人工的な「荒野」とも呼べる空間でした。
オニヤンマが飛んだ風景
ところが、人間の手によって造成された土地にも、時間の経過とともに思いがけない変化が訪れます。それが、「オニヤンマが飛んだ風景」へとつながる自然の営みです。
埋め立てが終了し、長期間利用されなかった土地などには、やがて風によって運ばれた種子が根を下ろし、草木が生い茂るようになりました。河川や運河を通じて淡水が流れ込み、雨水などによって水辺環境が生まれる場所もあります。そうした環境には次第に昆虫や鳥類などが姿を見せ、新たな生態系が形成されていきました。
アスファルトとコンクリートに囲まれた都市部において、こうした広大な緑地や水辺は、さまざまな生き物にとって貴重な生息空間となり得ます。
夏の埋立地の草原では、東京都心の高層ビル群を背景に、トンボが飛び交う風景に出会うことがあります。その中に大型のオニヤンマの姿を見つければ、ここが人工的に造成された土地であることを一瞬忘れてしまいそうになります。
日本最大級のトンボであるオニヤンマの生息には、幼虫が育つ水辺と、成虫が活動する周辺の緑地環境が重要です。大型の捕食性昆虫であるオニヤンマが飛ぶ姿は、都市の中にも多様な生き物が暮らす環境が残されていることを、印象的に伝えてくれます。
かつて人間の手によって造成された人工的な空間にも、時間の経過とともに草木や生き物が戻り、新たな生態系が形成されていきます。「オニヤンマが飛んだ風景」は、そうした変化を象徴する光景の一つといえるでしょう。
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「生産と廃棄」から「消費とレジャー」へ
この埋立地の変遷は、現代社会における文化的側面の変化とも深く連動しています。
初期の埋立地が「生産と廃棄」を支える場としての性格を強く持っていたのに対し、やがてその空間の一部は「消費とレジャー」の場へと姿を変えていきました。
東京湾岸の埋立地には、商業施設やレジャー施設なども数多く整備され、かつて何もなかった土地に新しい街並みや風景が生み出されてきました。こうした変化は、埋立地が都市の発展とともに新たな役割を担ってきたことを象徴しています。
しかし、ここで見出したいのは、商業化されたレジャー空間の向こう側にある、もう一つの文化的側面です。
それは、人工的で洗練された都市空間に囲まれて暮らす現代人が、埋立地という広大で余白を残した空間の中に「荒野」を思わせる風景を見出し、そこに安らぎや自由を感じる心理です。
東京湾岸では高層マンションや商業施設が林立する一方、広大な緑地や公園、野鳥などの生息環境に配慮した空間も整備されています。こうした場所では、市民が海風を感じながら散策し、都会の喧騒から離れた時間を過ごすことができます。
自然を都市化の対象としてのみ捉えるのではなく、人間の暮らしと自然環境との調和を模索する考え方が広がるなかで、東京湾岸の埋立地は、自然と人間との関係性をあらためて考える場所にもなっています。
私たちはなぜ「荒野」に惹かれるのか
「荒野への憧憬」とは、何もない殺風景な土地そのものを愛することではないでしょう。
むしろ、管理され、画一化された日常から少しだけ離れ、まだ何になるのか決まっていない場所や、未知のものと出会うことのできる「余白」を求める心なのかもしれません。
都市では、道路にも建物にも公園にも、それぞれ明確な目的があります。人は決められた道を歩き、決められた場所で働き、決められた施設で余暇を過ごします。
それに対して、埋立地の広大な草地や水辺には、ときとして用途や境界が曖昧に感じられる場所があります。空が大きく開け、遠くに都市の高層ビルが見えるにもかかわらず、足元では草が揺れ、昆虫が飛び交っています。
都市でありながら、都市ではないような風景です。
その不思議な感覚こそが、東京湾の埋立地に「荒野」のイメージを重ねたくなる理由の一つなのかもしれません。
東京湾の埋立地は、かつて急速な都市化を支える人工的な「荒野」でした。しかし今日、その一部では草木が育ち、生き物が戻り、人間と自然が共存する新しい風景が生まれています。
そこを飛ぶオニヤンマの姿は、人工と自然の境界線が入り混じる現代の都市においても、生命が環境に適応し、たくましく生きていくことを私たちに教えてくれます。
変わり続ける東京湾の風景
未来に向けて、東京湾の埋立地はさらにその姿を変えていくでしょう。新たな開発が進む一方で、環境に配慮した持続可能な都市のあり方も、今後ますます模索されていくことでしょう。
どのような未来が訪れるにせよ、かつてそこに広がっていた風景の記憶まで失われるわけではありません。
急速な都市化と経済成長のなかで生まれた人工的な空間に、やがて草木が育ち、多様な生命が姿を見せるようになりました。その変化の歴史は、人間と自然との関係を考える一つの手がかりを与えてくれます。
「荒野に似た風景への憧憬」と「オニヤンマが飛んだ風景」という二つのモチーフは、私たちの都市生活における精神的な豊かさについて考えるきっかけにもなります。
人工的な都市のシステムの中で生きる私たちにとって、埋立地という空間は、自然のたくましさを目の当たりにし、自分自身の内なる野生やロマンに再び火を灯すことのできる、貴重な余白なのかもしれません。
東京湾の埋立地の変遷を見つめることは、都市の歴史を見つめ直し、これからの人間と自然のあり方を考えることにもつながります。
これからも東京湾の風景は変わり続けていくでしょう。その変化の中で、私たちはあの荒野に似た広大な空間に、新しい風景と未来の可能性を見出し続けるのかもしれません。
古い品々に残された、失われた風景
都市の風景は、時代とともに絶えず姿を変えていきます。しかし、失われた風景が完全に消えてしまうとは限りません。
古い写真や絵葉書、古地図、観光案内、ポスターなどには、現在では見ることのできない街並みや海岸線、人々の暮らしが記録されていることがあります。
かつて何気なく作られ、使われた一枚の印刷物や写真が、数十年、百年という時間を経ることで、その時代を知るための貴重な資料となることもあります。埋め立てによって姿を変える以前の海岸線、造成途中の湾岸風景、今では失われた建物や工場など、一枚の写真や絵葉書が都市の記憶を伝えてくれることもあるのです。
古美術永澤では、絵画や掛軸、陶磁器などの美術品だけでなく、古写真、古地図、絵葉書、ポスターをはじめ、時代や地域の記憶を伝えるさまざまな古い品々についてもご相談を承っております。
ご自宅の整理や遺品整理などで、由来や価値の分からない古い資料が見つかった際には、処分してしまう前にぜひ一度ご相談ください。一見すると何気ない古い品の中にも、今では失われた風景や文化、人々の暮らしを伝える価値が残されているかもしれません。
■参考文献・情報
東京都港湾局「第1節 埋立地の造成と整備」
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。
