作品の査定・評価について
慈禧(西太后)の作品を高く評価しております。
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慈禧太后(じきたいこう、1835–1908)は、清朝末期の皇族であり、長く中国を動かした女性政治家です。咸豊帝の側室でしたが、咸豊帝の死後、幼い同治帝の摂政となり、もう一人の皇太后である慈安皇太后(東太后)とともに「垂簾聴政」(すいれんちょうせい)を行いました。慈安太后の死後は単独で政権を握り、同治帝と光緒帝の2代にわたって清朝の実質的な最高権力者となりました。学校や病院の設立、鉄道の敷設、漢民族の登用、女性の纏足(てんそく)禁止など、一部の改革も行いました。政治的な手腕だけでなく、宮廷芸術家としての美術的な面でも注目されています。
彼女は書や絵を愛し、宮廷文化を象徴する存在でした。特に楷書(かいしょ)を得意とし、丸みがありながらも力強い筆致で、気品ある文字を多く残しました。特に「福」や「寿」や「壽」といった縁起の良い文字を書くことが多く、寵愛する大臣などに下賜していました。
また、花鳥画や牡丹図なども好み、自ら筆を執った作品も伝わっています。彼女が描く牡丹は色彩が華やかで、「富貴と繁栄」の象徴とされる題材を通して、清朝宮廷の美意識を体現しました。
1835年
順天府(北京)で出生。
1852年
選秀で入内し「蘭貴人」となる。
1861年
咸豊帝が崩御、幼帝・同治が即位。
皇后(慈安)とともに東宮太后/西宮太后と称される。
辛酉政変を断行、八大臣を失脚させ実権を掌握。
年号を「同治」に改め、以後しばらく二宮(慈安・慈禧)垂簾聴政。
曾国藩・李鴻章・左宗棠らを起用し、農民反乱を鎮圧、洋務運動を推進。
「同治中興」と呼ばれる一定の安定をもたらす。
1875年
同治帝崩御。
直系の後継なく、光緒帝(咸豊の弟・醇親王の子)を擁立。
1895年
下関条約で賠償・割譲。
1898年
戊戌政変を起こし、光緒帝を幽閉・変法を停止。
1901年
辛丑条約に調印。
1908年
光緒帝が崩御。
直後に慈禧も崩御。
慈禧(西太后)の代表的な作品
- 丹宸冊府(たんしんさっぷ)
- 歳歳平安(さいさいへいあん
- 瑞応霊雪賦(ずいおうれいせつのふ)
- 牡丹図




