作品の査定・評価について
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顔輝の伝記を初めて載せる文献「画継補遺」(荘蕭著、大徳2年(1298年)の自序)によると、字は秋月、盧陵(現在の江西省吉安市)の人、南宋末にすでに山水、人物、鬼神を描いて名があり、士大夫は皆その画を敬愛したという。
ただし、後世の「図絵宝鑑」や「画史会要」では、顔輝を元代の画家で江山(浙江省衢州市)としており、現在も画風から元代道釈画家の代表と説明される。
大徳年間(1297-1307年)に江西省吉安市の順輔宮という道観が水害を被って補修する際、顔輝が壁画を担当し、絶筆と称せられ、御画師と呼ばれたことが知られる。
御画師の意味は不明だが、顔輝が画院画家だった事、あるいは元代の宮廷で活躍した事を示しているとも考えられる。
また、同じ吉安にある普閣寺の壁画も制作し、肖像画あるいは猿猴図の名手としても知られていたという。
日本でも明兆が「蝦蟇鉄拐図」の模写を試みているように、遅くとも室町時代中期には日本にその作品がもたらされていた。
能阿弥が撰述した「君台観左右帳記」では上の部に記され、特に鬼神、猿の画家として評判が高かったことが見える。
顔輝の代表的な作品
- 「蝦蟇鉄拐図」
- 「寒山拾得図」
- 「羅漢図」
- 「波濤図」
- 「鍾馗元夜出遊図巻」