林長民りん ちょうみん

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    林 長民(りん ちょうみん、1876-1925)は、清末民初の政治家・教育者。福建省出身。北京政府の要人である。
    幼名は則沢。字は孟宗。号は苣苳子、桂林一枝室主など。
    父は林孝恂。弟に林覚民。娘は建築家で詩人として著名な林徽因。梁啓超の子梁思成は娘婿にあたり同じく建築家。

    林長民の父・林孝恂は息子の英文・日文の学習のためにカナダ国籍の教師と日本国籍の教師を招いた。
    1906年 杭州東文学校を経て日本に留学。早稲田大学予科と大学経済学科で学び、法政学科で学士を取得。
    張謇、岑春煊、湯化竜、孫洪伊、劉崇佑、徐仏蘇、楊度、宋教仁に加え、犬養毅、尾崎行雄とも交流している。
    1909年(宣統元年)に帰国。福建官立法政学堂教務長兼咨議局書記長に就任する。
    1911年(宣統3年)の辛亥革命がで従弟の林覚民・林尹民が壮絶な死を遂げたことが、林長民人生を大きく変える。
    慶応義塾大学哲学科の学生だった林文・林覚民・林尹民は同級生でともに勉学に励んでいたが、3月5日、香港へ渡り黄興らと共に広州起義を起こし失敗。4月27日の黄花崗起義において黄花崗七十二烈士として戦士・処刑される。林長民はその直後から革命活動に身を投じることとなる。
    孫文が中華民国臨時大総統に選出されると、林は内務部参事に就任。中華民国臨時約法の作成に参加する。
    1912年(民国元年)1月、林は張謇、程徳全らと統一党を組織し、その幹事となる。5月に共和党が結成され幹事をつとめる。
    1919年(民国8年)、国際連盟同志会理事となる。この時ヴェルサイユ会議における山東利権回収交渉不調を見て、北京の『晨報』で列強批判を掲載。五四運動を引き起こすきっかけの1つとなったといわれる。
    1925年(民国14年)、郭松齢に同行していた際に乱戦に巻き込まれ、流れ弾を受けて戦死した。享年50(満49歳)。

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