淀井敏夫の買取
淀井敏夫の作品を高く評価しております。
もし作品がお手元にございましたらぜひご相談ください。
淀井 敏夫(よどい としお)
・1911年2月15日~2005年2月14日
・日本の彫刻家
※ 削げたような形態と岩のような質感のユニークな作品で知られている。
・文化勲章受章者。
・兵庫県朝来市出身
・経歴
大阪市立工芸学校を経て東京美術学校彫刻科卒業。
卒業後、おもに二科会を舞台にし、心棒に石膏を直付けする独自の技法で対象を叙情的に表現した具象彫刻を発表
大阪市立工芸学校教諭を務め、東京芸術大学教授の美術学部長まで務めた人物。
心棒に石膏を直接つける技法で細く伸びるフォルムを構成し、独自の作風を示した。
高校時代に吉川政治から木彫を学ぶ。
その後、東京美術学校彫刻科に入学する。北村西望に塑像を、関野聖雲に木彫を学ぶ。
大学時代に第12回帝展に「男立像」で初入選を果たす。
1935年第10回国画会展に「仕事着の青年」を出品する。
1936年大阪市立工芸学校教諭となり、同年の第23回二科展に「若き手工業者」を出品。
翌年の1937年には同展に「少年」を出品。
1940年、大阪市立工芸学校教諭を辞して上京。同年大阪市主催奉祝二千六百年記念展に「三船氏」「征くもの」を出品し、大阪市長賞を受賞する。
1941年第5回東邦彫塑院展に「少年像」
1943年第6回新文展に「坐像」を出品。
1948年第33回二科展に「仕事着の人」、
1949年第34回同展に「労人」を出品して同会準会員となる。
1954年第39回展に「坐像」を出品して二科会会員努力賞を受賞。
1965年にヨーロッパに渡り、翌年渡欧の成果をギャラリー・キューブでの個展で開催する。
1972年第一回平櫛田中賞を受賞し、東京の日本橋高島屋で受賞記念展が開催されることになる。
1972年第57回二科展に「夏の海」「クレタの渚」「渚のエウローペ」を出品し青児賞を受賞。
1973年第58回二科展に「砂とロバと少年」「小さいキリン」を出品し、前者により内閣総理大臣賞を受賞する。
1976年第61回二科展にベンチ座る二人の人物を表した「ローマの公園」および「流木と椅子で」を出品。
1977年「ローマの公園」で日本芸術院賞を受賞。
1978年「ローマの公園」で長野市野外彫刻賞を受賞。
1982年日本芸術院会員となる。
1985年兵庫県立近代美術館、姫路市立美術館で個展を開催。
1987年日本橋高島屋で「彫刻50年の歩み 淀井敏夫展」を開催する。
1994(平成6)年文化功労者となる。
1999年あさご芸術の森美術館に淀井敏夫記念館が開館する。
2001年文化勲章を受章。
1954年母校の東京藝術大学の講師に就任。のちに教授に就任
1973年同美術学部長
当初は対象を再現的にとらえるアカデミックな塑像を制作したが、1950年代半ばから対象のフォルムをそぎ落とすデフォルメが行われるようになり、心棒に直接石膏をつける独自の技法を用い、
複数の人体像を組み合わせて自然と人との関わりをあらわす作風となった。
1970年代に野外彫刻が盛んになるのに伴い、箱根彫刻の森美術館の「ローマの公園」、宝塚市宝塚大橋の「渚」、釧路大規模運動公園の「飛翔」
など大規模な野外彫刻も手がける。
的確な対象把握をもとに、量塊性を削いでいき、存在感や動きの中枢に迫るフォルムを創出し、
抽象彫刻が出現して以降の具象彫刻の展開にひとつの指針を示した。
・1911年2月15日~2005年2月14日
・日本の彫刻家
※ 削げたような形態と岩のような質感のユニークな作品で知られている。
・文化勲章受章者。
・兵庫県朝来市出身
・経歴
大阪市立工芸学校を経て東京美術学校彫刻科卒業。
卒業後、おもに二科会を舞台にし、心棒に石膏を直付けする独自の技法で対象を叙情的に表現した具象彫刻を発表
大阪市立工芸学校教諭を務め、東京芸術大学教授の美術学部長まで務めた人物。
心棒に石膏を直接つける技法で細く伸びるフォルムを構成し、独自の作風を示した。
高校時代に吉川政治から木彫を学ぶ。
その後、東京美術学校彫刻科に入学する。北村西望に塑像を、関野聖雲に木彫を学ぶ。
大学時代に第12回帝展に「男立像」で初入選を果たす。
1935年第10回国画会展に「仕事着の青年」を出品する。
1936年大阪市立工芸学校教諭となり、同年の第23回二科展に「若き手工業者」を出品。
翌年の1937年には同展に「少年」を出品。
1940年、大阪市立工芸学校教諭を辞して上京。同年大阪市主催奉祝二千六百年記念展に「三船氏」「征くもの」を出品し、大阪市長賞を受賞する。
1941年第5回東邦彫塑院展に「少年像」
1943年第6回新文展に「坐像」を出品。
1948年第33回二科展に「仕事着の人」、
1949年第34回同展に「労人」を出品して同会準会員となる。
1954年第39回展に「坐像」を出品して二科会会員努力賞を受賞。
1965年にヨーロッパに渡り、翌年渡欧の成果をギャラリー・キューブでの個展で開催する。
1972年第一回平櫛田中賞を受賞し、東京の日本橋高島屋で受賞記念展が開催されることになる。
1972年第57回二科展に「夏の海」「クレタの渚」「渚のエウローペ」を出品し青児賞を受賞。
1973年第58回二科展に「砂とロバと少年」「小さいキリン」を出品し、前者により内閣総理大臣賞を受賞する。
1976年第61回二科展にベンチ座る二人の人物を表した「ローマの公園」および「流木と椅子で」を出品。
1977年「ローマの公園」で日本芸術院賞を受賞。
1978年「ローマの公園」で長野市野外彫刻賞を受賞。
1982年日本芸術院会員となる。
1985年兵庫県立近代美術館、姫路市立美術館で個展を開催。
1987年日本橋高島屋で「彫刻50年の歩み 淀井敏夫展」を開催する。
1994(平成6)年文化功労者となる。
1999年あさご芸術の森美術館に淀井敏夫記念館が開館する。
2001年文化勲章を受章。
1954年母校の東京藝術大学の講師に就任。のちに教授に就任
1973年同美術学部長
当初は対象を再現的にとらえるアカデミックな塑像を制作したが、1950年代半ばから対象のフォルムをそぎ落とすデフォルメが行われるようになり、心棒に直接石膏をつける独自の技法を用い、
複数の人体像を組み合わせて自然と人との関わりをあらわす作風となった。
1970年代に野外彫刻が盛んになるのに伴い、箱根彫刻の森美術館の「ローマの公園」、宝塚市宝塚大橋の「渚」、釧路大規模運動公園の「飛翔」
など大規模な野外彫刻も手がける。
的確な対象把握をもとに、量塊性を削いでいき、存在感や動きの中枢に迫るフォルムを創出し、
抽象彫刻が出現して以降の具象彫刻の展開にひとつの指針を示した。
淀井敏夫の代表的な作品
- 波・群(1959年) 東京藝術大学大学美術館
- 聖マントヒヒ(1966年) 東京国立近代美術館
- 放つ(1969年) 兵庫県立美術館
- ナイルたそがれ(1976年) 兵庫県立美術館
- ローマの公園(1976年) 秋田県立近代美術館、神戸市中央区・海岸線プロムナード
- 渚(1978年) あさご芸術の森美術館
- 海の鳥と少年(1981年) 世田谷美術館
- 渚(1987年) 徳島県立近代美術館
- 雲と樹、渡り鳥」(1991年) 倉吉博物館
- エビタウロス追想 東京都庁
- 足をのばした幼いキリン 兵庫県公館
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