作品の査定・評価について
中川一匠の作品を高く評価しております。
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中川 一匠(なかがわ いっしょう、1828-1876年)は江戸時代に活躍した日本の金工家である。
美作国津山藩主松平家の抱え工であった中川勝継の次男として生まれる。五兵衛勝実といい、通称を直次郎といった。正阿弥勝義の実兄。
21歳で京都の後藤一乗の門に入る。安政4年、29歳の時に師の許しを得て一勝と改めた。その後師家を辞め、津山に戻ったが中川家を弟である一的に譲る。文久元年には江戸に出て、翌2年に一匠と改名する。
明治9年、48歳で東京で歿している。
号名を韜雲といい、「後藤一乗門人」や「後藤法橋一乗門」などと切添えて師弟関係を明示したものがある。作風は師風をよく継承し、一乗のもとにあっては橋本一至や船田一琴らと共に師の代作の任にあったといわれている。
年表
1828年 生まれる
1849年 後藤一乗の門に入る
1857年 一勝と改名する
1876年 逝去
美作国津山藩主松平家の抱え工であった中川勝継の次男として生まれる。五兵衛勝実といい、通称を直次郎といった。正阿弥勝義の実兄。
21歳で京都の後藤一乗の門に入る。安政4年、29歳の時に師の許しを得て一勝と改めた。その後師家を辞め、津山に戻ったが中川家を弟である一的に譲る。文久元年には江戸に出て、翌2年に一匠と改名する。
明治9年、48歳で東京で歿している。
号名を韜雲といい、「後藤一乗門人」や「後藤法橋一乗門」などと切添えて師弟関係を明示したものがある。作風は師風をよく継承し、一乗のもとにあっては橋本一至や船田一琴らと共に師の代作の任にあったといわれている。
年表
1828年 生まれる
1849年 後藤一乗の門に入る
1857年 一勝と改名する
1876年 逝去