帖佐美行の買取
帖佐美行の作品を高く評価しております。
もし作品がお手元にございましたらぜひご相談ください。
帖佐美行(ちょうさよしゆき、1915年3月25日-2002年9月10日)は、彫金家。鹿児島県出身。本名は良行。
13歳で上京、1930年から8年間、彫金家小林照雲に師事した。1940年からは海野清に師事。1941年美術協会展で入賞。翌年、第5回新文展に「銅芥子文花瓶」で初入選。「龍文象嵌花瓶」と「回想銀製彫金花瓶」で第10、11回日展で2年連続特選を受賞した。1956年からは光風会会員となり常務理事を経て1986年退会した。
1957年からは日展審査員、翌年からは日展評議員をつとめる。第5回新日展では「牧場のある郊外」で文部大臣賞を受賞する。1966年には、第8回新日展に出品した「夜光双想」で日本芸術院賞を受賞。1969年日展理事、74年日本芸術院会員となり、同年日本金工作家協会会長となる。1961年に参加したが、1978年には現代工芸美術家協会を退会した。1982年には日本新工芸家連盟の会長に就任。1984年皇居新宮殿のために「和讃想」を制作。1987年勲三等旭日中綬章受章、同年文化功労者となる。1988年鹿児島県民特別賞。1993年文化勲章受章。1995年日展顧問となる。
1950年代後半、建築装飾にも意欲的になり、壁面装飾用の当時では珍しい、鉄パイプをつぶしてつなぎ合わせた大型パネルを制作し注目を浴びた。1980年頃、香炉や花瓶などに力を注ぐようになる。ユニークな形の器の表面に鏨を打ち込んで繊細な文様をあらわし、様々な色付けをした。詩的な情景あふれる独自の作品世界を作り上げた。2002年、呼吸不全のため死去。享年87歳。
13歳で上京、1930年から8年間、彫金家小林照雲に師事した。1940年からは海野清に師事。1941年美術協会展で入賞。翌年、第5回新文展に「銅芥子文花瓶」で初入選。「龍文象嵌花瓶」と「回想銀製彫金花瓶」で第10、11回日展で2年連続特選を受賞した。1956年からは光風会会員となり常務理事を経て1986年退会した。
1957年からは日展審査員、翌年からは日展評議員をつとめる。第5回新日展では「牧場のある郊外」で文部大臣賞を受賞する。1966年には、第8回新日展に出品した「夜光双想」で日本芸術院賞を受賞。1969年日展理事、74年日本芸術院会員となり、同年日本金工作家協会会長となる。1961年に参加したが、1978年には現代工芸美術家協会を退会した。1982年には日本新工芸家連盟の会長に就任。1984年皇居新宮殿のために「和讃想」を制作。1987年勲三等旭日中綬章受章、同年文化功労者となる。1988年鹿児島県民特別賞。1993年文化勲章受章。1995年日展顧問となる。
1950年代後半、建築装飾にも意欲的になり、壁面装飾用の当時では珍しい、鉄パイプをつぶしてつなぎ合わせた大型パネルを制作し注目を浴びた。1980年頃、香炉や花瓶などに力を注ぐようになる。ユニークな形の器の表面に鏨を打ち込んで繊細な文様をあらわし、様々な色付けをした。詩的な情景あふれる独自の作品世界を作り上げた。2002年、呼吸不全のため死去。享年87歳。
帖佐美行の代表的な作品
- 「公慶(捧げ物のための器)」
- 「自然の胎動」
- 「花心の譜(迎雅香燈)」
出張買取
出張依頼
お気軽にご相談ください。お電話・LINE・メールフォームから承ります。
日時決定
お品物についてお聞きした後、ご都合のよいご訪問日時を調整し決定いたします。
ご訪問・査定
ご指定の日時に目利きがご訪問し、お品物を拝見して、査定額をご提示いたします。
買取・お支払い
ご提示した査定額にご納得いただきましたら、その場で現金でお支払いいたします。
美術品の時価評価が必要な皆さまへ
帖佐美行を含め、相続や企業の帳簿価格の見直し等で必要な美術品・骨董品の時価評価は、「美術品評価サービス」がございます。
日本全国対応・出張料送料無料
買取対応地域
古美術永澤は日本国内なら出張料・宅配送料は無料です。
まずはお気軽に査定をお申し込みください。
- 北海道
- 青森県
- 岩手県
- 宮城県
- 秋田県
- 山形県
- 福島県
- 茨城県
- 栃木県
- 群馬県
- 埼玉県
- 千葉県
- 東京都
- 神奈川県
- 新潟県
- 富山県
- 石川県
- 福井県
- 山梨県
- 長野県
- 岐阜県
- 静岡県
- 愛知県
- 三重県
- 滋賀県
- 京都府
- 大阪府
- 兵庫県
- 奈良県
- 和歌山県
- 鳥取県
- 島根県
- 岡山県
- 広島県
- 山口県
- 徳島県
- 香川県
- 愛媛県
- 高知県
- 福岡県
- 佐賀県
- 長崎県
- 熊本県
- 大分県
- 宮崎県
- 鹿児島県
- 沖縄県