尾形光琳の買取
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京都の呉服商雁金屋の次男として生まれた。父は尾形宗謙。弟に尾形乾山がいる。父が死去すると、遺言により3つの屋敷と諸道具を、兄弟と折半で譲り受ける。家督は兄が継いだ。生来遊び人であった光琳は遊興三昧の日々を送り、相続した莫大な財産を使い果たし、弟の尾形乾山からも借金するような生活を送っていた。
一方で、幼少期から能楽、茶道、書道などに親しみ、絵画を父に手ほどきを受けるなど芸術に親しんでいた。やがて、山本素軒に師事し狩野派の画法を学ぶ。本阿弥光悦や俵屋宗達らの作品に魅了され始め、影響を受けつつ独自の画風を大成する。
30歳頃には浩臨と改名。光琳の名を確認できるのは1692年(35歳)である。1701年には法橋に叙せられる。また、「法橋光琳」落款が多数の作品に見られることから、法橋位を得た44歳から59歳で没するまでの十数年間に制作されたものがほとんどだとされている。
また、富裕な町衆のパトロンを持っていた。晩年は京都に戻り、大作を制作する。装飾的な作品を多数残し、非凡な意匠感覚は光琳模様といわれ、現代まで日本の絵画や工芸などに多大な影響を与えた。制作を行う一方で、王朝時代の古典も学ぶ。
画風は大和絵風を基調にしていたが、晩年には水墨画の作品も見られる。大画面の屏風だけでなく、扇面、香包などの小品の制作も手掛ける。手描きの小袖や蒔絵などの作品も見られる。乾山の焼物には絵付けをするなど、工芸デザインにも影響を与え、幅広く制作活動を行っていた。
また、辻惟雄が「艶隠者」と呼んだ貴族的・唯美主義的作家であり、宮廷風に美しく立派な美学を打ち出した。
年表
1658年 京都に生まれる
1701年 法橋に叙せられる
1704年 江戸へ行く
1709年 帰郷
1716年 死去
尾形光琳の代表的な作品
- 「燕子花図屏風」
- 「紅白梅図屏風」
- 「中村内蔵助像」
- 「八橋蒔絵硯箱」
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