出口王仁三郎でぐち おにさぶろう

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    出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう、1871-1948年)は、明治から昭和時代の宗教家。新宗教「大本」の二大教祖の一人である。本名は上田喜三郎。

    1871年8月27日京都府亀岡在に農業を営む上田家五男三女の長男として生まれる。幼少期は聡明さから「八つ耳」、神童と言われていた。1883年に通学する小学校教師と喧嘩沙汰となり退学。校長に見込まれ、その教師の代用教員として採用される。その後辞職。様々な職種を体験する。
    1896年で独立。「穴太精乳館 上田牧牛場」を開業し、搾乳・牛乳販売業を始め、成功する。当時、園部の南陽寺に滞在していた岡田惟平から古事記・日本書紀の国学的解釈と和歌を学んでいるが、喜三郎と宗教との接点は少なかった。歯痛を癒やしてくれた事を機会に、上田家と関係があった妙霊教会に出入りするが、熱心な信者ではなかった。
    その後、1898年に大本の開祖である出口なおを京都府綾部に訪ねる。翌年、大本に入信。1900年には出口なおの五女である出口すみと結婚。名を出口王仁三郎に改める。教義を体系化し、教団を発展にみちびく。しかし、日露戦争が日本の勝利に終わる。立替え熱が冷めたことで離脱する信者が急増し、教団は衰退の一途を辿った。衰えていた大本教の教勢を再建するため綾部に戻って大日本修斎会をつくり、1914年皇道大本と改称し、第一次世界大戦中から戦後に全国的に教勢を伸ばした。不敬罪などで2度検挙されたが、海外進出もはかるなど新興宗教経営の基礎をつくった。

    出口 王仁三郎は芸術評価も高く、「芸術は宗教の母なり」として宗教・芸術一元論を提唱した。絵画・陶芸・短歌に通じ「芸術の趣味を悟らぬ人々は地上天国夢にも来らず」と詠う。短歌では異才を発揮。1927年には文芸活動を推進する明光社を組織。大量の短歌を投稿する。1930年に前田夕暮のサークルに入り、ついでアララギ・あけびなど50余の短歌結社に参加。月に1000首を詠んだ。
    また、陶芸にも足跡を残す。第二次大本事件拘留中の構想を元に、1945年元旦から翌年3月にかけて、36回の窯・3000個の茶碗をつくった。1949年、陶芸家・金重陶陽を訪ねた日本美術工芸社主幹・加藤義一郎がその日見た王仁三郎の茶碗に感銘を受けて「耀盌(ようわん)」と名づけた。
    1948年1月19日に死去。

    出口王仁三郎の代表的な作品

    • 「霊界物語」
    • 「道の栞」

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