野口雨情のぐち うじょう

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    野口雨情(のぐち うじょう、1882-1945年)は、明治時代に活躍した詩人、童謡・民謡作詞家である。
    1882年5月29日茨城県多賀郡磯原村に父量平、母てるの長男として生まれる。本名英吉。


    1897年に伯父の衆議院議員野口勝一(北厳)宅に寄宿。1901年に東京専門学校高等予科文学科(現早稲田大学)に入学。坪内逍遥に師事するが、1年余で中退し詩作を始める。しかし父の事業失敗と死により、1904年に帰郷。家督を継ぎ、高塩ひろと結婚。この頃から「雨情」と号を名乗る。


    1905年に処女民謡詩集『枯草』を水戸から自費出版。日本最初の創作民謡集であった。しかし反響は得られなかった。


    以後、多くの職業を転々とし、北海道や茨城、東京と移りつつ詩作を続ける。1919年童謡運動をはじめ、翌年には児童雑誌『金の船』(のち『金の星』)に毎月発表しはじめる。1921年には童謡集『十五夜お月さん』を刊行。その後も民謡や童謡の創作、理論的指導などを精力的に行った。「船頭小唄」が演歌師に歌われたことにより、知られるようになる。その後全国に流行。1928年には「波浮の港」、翌年には「紅屋の娘」のレコードがヒットするなど,新しいメディアにのって大衆に親しまれる歌を生んだ。


    また、他方童謡とともに盛んとなった「新民謡」にも力を注ぎ、1935年には日本民謡協会を再興し、理事長に就任している。同年、仏教音楽協会も設立され、評議員に推薦される。


    しかし、1943年に軽い脳出血で倒れる。その後は療養に専念。1945年1月27日に疎開先の宇都宮市鶴田町の羽黒山麓で死去。

    仏教音楽の研究に加え、新仏教音楽の創作や発表、普及にも力を尽くした。「七つの子」「シャボン玉」「青い眼の人形」などのように、いわゆる純真な童心をうたいあげた作品を作り、典型的な童謡イメージを確立した。



    年表
    1882年 佐賀県に生まれる
    1897年 上京
    1901年 東京専門学校高等予科文学科入学(1年余で中退)
    1904年 帰郷
    1905年 処女民謡詩集『枯草』を水戸から自費出版
    1907年 「早稲田文学」に詩作品を掲載
        札幌の「北鳴新報社」入社
    1909年 帰郷後、上京
    1919年 詩集「都会と田園」で詩壇復帰
        「枯れすすき作詞、中山晋平に作曲依頼
        「金の船」に童謡作品を発表
    1921年 童謡集『十五夜お月さん』を刊行
    1935年 日本民謡協会を再興 理事長に就任
        仏教音楽協会も設立 評議員に推薦される
    1943年 軽い脳出血で倒れる
    1945年 死去

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