- 四条派
作品の査定・評価について
塩川文麟の作品を高く評価しております。
もし作品がお手元にございましたらぜひご相談ください。
塩川文麟(しおかわ ぶんりん、1808年~1877年、文化5年~明治10年)は、江戸末から明治初期の京都の日本画家。幼名は隼人、字は子温、士温など。号は初めは雲章、後に文麟。別に可竹斎や泉声答斎や木仏老人など。通称は図書(ずしょ)。
幕末から明治にかけての京都画壇の重鎮であり、同じく四条派の横山清暉、岸派の岸連山、円山派の中島来章と共に、幕末の平安四名家と称された。
技巧派肌の画家で、山水画を中心に、花鳥画や人物画も上手く、幅広い画風で知られた。
幕末から明治にかけての京都画壇の重鎮であり、同じく四条派の横山清暉、岸派の岸連山、円山派の中島来章と共に、幕末の平安四名家と称された。
技巧派肌の画家で、山水画を中心に、花鳥画や人物画も上手く、幅広い画風で知られた。