- 買取強化中
- 富士山
- 面構
片岡球子の買取
片岡球子の作品を高く評価しております。
もし作品がお手元にございましたらぜひご相談ください。
片岡球子は、安定して高い人気があり、そのため古美術永澤では片岡球子の作品を特に高く評価し買い取りしています。
片岡球子を代表する人気の作品は特に高価買取いたします。
片岡球子の人気の作品
買取価格は図柄によって大きく変わってきます。
鮮やかな色彩・大胆な形で構成された図像は特に人気があります。
また、サイズの大きな作品も人気の題材は高く評価しています。
片岡球子の査定のポイント
メールやLINEで画像をお送りいただければ、大体の相場をお伝えいたします。
買取については、経年の退色や、カビなどからくるシミ・しわなどを実物の状態を拝見して査定額をお出しいたします。
片岡球子の代表的な作品
- 「枇杷」
- 「面構」
- 「富士」
- 「歌舞伎南蛮寺門前所見」
- 「祈祷の僧」
片岡球子(かたおか たまこ 1905年(明治38年)-2008年(平成20年))は、日本の画家。北海道出身。
札幌市の醸造業と材木商を営む家の長女として生まれる。
高校卒業後、画家になる事を決心し、故郷を離れて女子美術専門学校(現:女子美術大学)で日本画を学んだ。その後横浜市立大岡尋常高等小学校(現、市立大岡小学校)教諭となり、退職するまでの約30年間、教職と共に作品制作を行っていく。
女子美術学校在学中より松岡映丘門下の吉村忠夫に師事、またデッサンを洋画家富田温一郎に学ぶが、帝展(現日展)に落選する日が続く。
中島清之の勧めで院展に出品すると、1930(昭和5)年第17回院展に「枇杷」が初入選。第26回院展出品作品「緑蔭」で院友に推挙されることとなる。42年院展の研究会で課題「雄渾」に対して御嶽山の行者を描いた作品「祈祷の僧」が転機となる。46年第31回院展で「夏」が日本美術院賞を受賞。同年中島清之を介して安田靫彦に入門する。52年第37回「美術部にて」で日本美術院賞・大観賞を受賞。量感表現を勉強するため約一年間、東京芸術大学教授の彫刻家 山本豊市に彫刻デッサンの指導を受けるなど、表現の幅を広げていく。
小学校教を退職し、女子美術大学日本画科の専任講師となると、以後助教授を経て65年に教授となる。
第39回院展に出品した「歌舞伎南蛮寺門前所見」は100点を超える徹底した取材スケッチをもとに描かれた。歌舞伎、能、雅楽など伝統芸術をテーマとした最初の作品だが、球子の画風の大きな転機となる作品の一つであり、また後の面構(つらがまえ)シリーズの源泉となった作品でもある。
鮮烈な色彩、デフォルメされた大胆な形、力強い筆使い。他の追随を許さない強烈な個性で国内外問わず人気を博す片岡球子だが、院友に推挙されるまで何度も落選を繰り返し、当時自殺まで考えたという。そんな球子を救ったのは画壇の重鎮、小林古径の言葉だった。
「あなたの絵は確かにゲテモノだが、ゲテモノと本物は紙一重。あなたの絵を絶対に変えてはいけない」。
片岡は古径の言葉を支えに、代名詞となった富士山シリーズ、60歳を過ぎてから始めた「面構(つらがまえ)」や、100歳まで続けた裸婦など、生涯「描きたいものを描きたいように」という信念を貫いた。
1986年文化功労者を受賞、1989年には文化勲章を受章。
2005年には100歳を記念し、神奈川県立近代美術館葉山・名古屋市美術館・茨城県近代美術館で大規模な回顧展が開催された。
享年103歳。
古美術永澤より片岡球子の買取
片岡球子の絵画は本物であれば高額買取が期待できます。
片岡球子は富士山シリーズが有名ですが、古美術永澤では人物や花図、風景図などの高額買取の実績も数多くあります。
片岡球子の作品をお持ちでしたら、ぜひ一度査定をお申し付け下さい。
すでに鑑定を取得されている場合はかならず一緒にお見せいただけますようお願いいたします。
状態などを拝見してできる限りの高額で買い取りさせていただきます。
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お品物についてお聞きした後、ご都合のよいご訪問日時を調整し決定いたします。
ご訪問・査定
ご指定の日時に目利きがご訪問し、お品物を拝見して、査定額をご提示いたします。
買取・お支払い
ご提示した査定額にご納得いただきましたら、その場で現金でお支払いいたします。
美術品の時価評価が必要な皆さまへ
片岡球子を含め、相続や企業の帳簿価格の見直し等で必要な美術品・骨董品の時価評価は、「美術品評価サービス」がございます。