作品の査定・評価について
土佐光文(藤原光文)の作品を高く評価しております。
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土佐光文(とさ みつぶみ/読み「みつあや」とも)は、江戸後期から明治初期にかけて活躍した日本画家です。1812年に京都で名門の画家家系である土佐派の分家・光孚(みつざね)の次男として生まれました。のちに本家「土佐派宗家」の養子となって第22代を継ぐことになります。
大和絵の伝統を受け継ぎつつも時代の変化を反映させた柔らかな作風で知られます。雅な色彩と繊細な線を基調に、金泥や文様を巧みに使った装飾的表現を得意としました。人物や行事画、立雛図などに見られる温和で品位ある筆致は、宮廷文化の気品を伝えるものです。
また、1850年代には宮中・内裏の造営にあたる際の「画工頭」を務めたり、宮廷の屏風や障子などの絵画制作を総括する絵師として最高位の職、絵所預(えどころあずかり)という地位を得るなど、官職的にも一定の評価を獲得していました。
明治に入ってからは、同じく画家の中島来章(なかじま らいしょう)、塩川文麟(しおかわ ぶんりん)とともに、画界でのグループ「如雲社(じょうんしゃ)」を設立し、土佐派の活動を維持・発展させようとしました。
土佐光文(藤原光文)の代表的な作品
- 朧月落花帰雁之図




