- 刀工
作品の査定・評価について
粟田口有国の作品を高く評価しております。
もし作品がお手元にございましたらぜひご相談ください。
粟田口有国 (あわたぐち ありくに) は、鎌倉時代に山城国粟田口に興った粟田口派初期の刀工。
父は粟田口國家。兄弟には国友、久国、国安、則国、国綱らがおり、有清は5男にあたる。有国の作品は少なく、伊勢神宮所蔵の太刀が1点あるにすぎない。
平安遷都後、さらに作刀が盛んとなった山城国界隈は数多くの刀工が集まる。古くは三条宗近をはじめとして、三条派、五条派、長谷部派など山城鍛冶の諸派が生まれ、粟田口派の興りも山城伝確立に大きな役割を果たす。粟田口の開祖は父國家とされるが、現存刀が発見されていないため、実質的にその嫡男国友、およびその兄弟が開祖とされている。兄弟は通称粟田口六兄弟とよばれ、鎌倉時代初期から室町時代の南北朝初期にかけてその隆盛を示す。その活躍は《宇治拾遺物語》に〈粟田口の鍛冶〉と記されるほど広く知れ渡ることとなり、また多くの著名な刀工を輩出した。
父は粟田口國家。兄弟には国友、久国、国安、則国、国綱らがおり、有清は5男にあたる。有国の作品は少なく、伊勢神宮所蔵の太刀が1点あるにすぎない。
平安遷都後、さらに作刀が盛んとなった山城国界隈は数多くの刀工が集まる。古くは三条宗近をはじめとして、三条派、五条派、長谷部派など山城鍛冶の諸派が生まれ、粟田口派の興りも山城伝確立に大きな役割を果たす。粟田口の開祖は父國家とされるが、現存刀が発見されていないため、実質的にその嫡男国友、およびその兄弟が開祖とされている。兄弟は通称粟田口六兄弟とよばれ、鎌倉時代初期から室町時代の南北朝初期にかけてその隆盛を示す。その活躍は《宇治拾遺物語》に〈粟田口の鍛冶〉と記されるほど広く知れ渡ることとなり、また多くの著名な刀工を輩出した。