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作品の査定・評価について
一翁宗守(似休斎)の作品を高く評価しております。
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一翁宗守 似休斎(いちおうそうしゅ じきゅうさい,1593~1675年)は武者小路千家4代千宗守。家元。
千宗旦(元伯宗旦)の次男で、閑翁宗拙の弟、宗拙とともに宗旦の先妻の子である。表流の宗左、裏流の宗室の兄にあたる。別に官休庵・似休斎などと号した。当初、千家から塗師吉文字屋与三右衛門の養子となり吉岡甚右衛門を名のる。のちに家業を娘に継がせ、中村家に譲り、千家に復した。これが千家十職のひとつ中村宗哲である。一家を武者小路に住したので武者小路千家と称せられる。晩年には剃髪して宗次と称したが、大徳寺玉舟和尚によって宗守と改めることとなる。以後同家では代々宗守(官休庵)を名のることとなった。茶法は父宗旦に受けその奥義を極め、のち讃州高松藩主松平公の茶頭として出仕。官休庵には諸説あるが、茶頭の官を辞した詫人の庵に由来していると伝えられている。延宝三年、八十三歳没。花押は多種にわたり、異種のように見えるものもあるのが特徴的である。
千宗旦(元伯宗旦)の次男で、閑翁宗拙の弟、宗拙とともに宗旦の先妻の子である。表流の宗左、裏流の宗室の兄にあたる。別に官休庵・似休斎などと号した。当初、千家から塗師吉文字屋与三右衛門の養子となり吉岡甚右衛門を名のる。のちに家業を娘に継がせ、中村家に譲り、千家に復した。これが千家十職のひとつ中村宗哲である。一家を武者小路に住したので武者小路千家と称せられる。晩年には剃髪して宗次と称したが、大徳寺玉舟和尚によって宗守と改めることとなる。以後同家では代々宗守(官休庵)を名のることとなった。茶法は父宗旦に受けその奥義を極め、のち讃州高松藩主松平公の茶頭として出仕。官休庵には諸説あるが、茶頭の官を辞した詫人の庵に由来していると伝えられている。延宝三年、八十三歳没。花押は多種にわたり、異種のように見えるものもあるのが特徴的である。