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作品の査定・評価について
曠叔宗左(了々斎)の作品を高く評価しております。
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曠叔宗左 了々斎(こうしゅく りょうりゅうさい,1775~1825年)は表千家9代千宗左。家元。曠叔・好雪軒。
久田宗渓の長男として生まれ、幼名は貞蔵、啐啄斎の養子となり、三十四歳で不審菴九代目を継いだ。その温厚篤実な性格は、筆太で起伏のない筆致から偲ぶことができる。紀州徳川家に仕え、晩年には風雅を愛した徳川治宝を家元とし茶事を催した。了々斎のころ表千家は治宝の庇護を受け、治宝の不審庵への御成りにあたり紀州徳川家が建てたものが現在の表千家表門である。紀州では藩主から庶民にまで表千家の茶道が広がり、現在でも活動は盛んであるといわれる。和歌山西浜御殿の実際庵を好み、また楽旦入とともに出仕し、製陶にもたずさわる。文政八年に五十歳で没している。
久田宗渓の長男として生まれ、幼名は貞蔵、啐啄斎の養子となり、三十四歳で不審菴九代目を継いだ。その温厚篤実な性格は、筆太で起伏のない筆致から偲ぶことができる。紀州徳川家に仕え、晩年には風雅を愛した徳川治宝を家元とし茶事を催した。了々斎のころ表千家は治宝の庇護を受け、治宝の不審庵への御成りにあたり紀州徳川家が建てたものが現在の表千家表門である。紀州では藩主から庶民にまで表千家の茶道が広がり、現在でも活動は盛んであるといわれる。和歌山西浜御殿の実際庵を好み、また楽旦入とともに出仕し、製陶にもたずさわる。文政八年に五十歳で没している。