粟田口国綱あわたぐち くにつな

  • 刀工

粟田口国綱について

粟田口国綱の作品を高く評価しております。
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粟田口国綱 (あわたぐち くにつな,1163年?-1255年頃) は、鎌倉時代初期、山城国粟田口の刀工。粟田口六兄弟の末弟。本名、林藤六郎。通称藤六。藤六左近将監と称される。久国・国吉・国綱ら兄弟とともに後鳥羽院御番鍛冶に召される。左近将監、左近允、左衛門などに就き、のち入道した。北条時頼に召され鎌倉山に移住し、「鬼丸」別称「鬼丸国綱」などを作刀。相州伝のはじまりを担い、子・新藤五国光に受け継がれる。

鬼丸、その名の由来は伝承として『太平記』巻第32に記されている。
<時の執権北条時政は毎晩枕元に現れる小鬼に苦しめられ、心身ともに休まることがなかった。ある夜、太刀が翁の姿になって夢に現れ、「自分は貴方を護るものだが、汚れた人の手に握られたため錆びて鞘から抜け出せない。早く妖怪を退治したければ、清浄な人をもって自分の錆を拭い去ってくれ」。そう言い終わると、また太刀の姿に戻った。目覚めると時政は早速部下に身を清めさせ国綱を手入れすると、鞘には納めず傍らの柱に立て掛けた。季節は冬、暖をとろうと火鉢を引き寄せる座ると、その台には銀の小鬼が施されていた。目に水晶、歯に金を沈めた姿は夢に現れる小鬼とよく似ている。そう思っているところへ国綱が倒れかかり、細工の首を切り落としたという。それ以来時政の夢に小鬼は現れなくなったことから、この太刀を「鬼丸」と命名した。>
太平記では時政の逸話として書かれているが、後代になって創作されたのではないか、と諸説ある。
その後、多くの権力者の手に渡るが本阿弥家の預かるところとなり、明治になってようやく皇家の御物に収まる。三日月や童子切とともに天下五剣に数えられるが、御物であるため五剣のうち、鬼切だけが文化財指定を受けていない。

刃長二尺五寸八分 (約78.2cm) 、反り一寸一分 (約3.2cm) 。鎬造り、庵棟、地鉄がよく約み、地沸付き、地斑映りが立つ。刃文は沸出来、広直刃調の小丁子乱れで、腰刃を焼く。目釘孔は1つ。目釘孔上の棟寄りに「国綱」の二字銘がある。その拵えは、室町時代初期の製作と推定される。鞘と柄の全体を茶色皺革で包んだ上に金茶色の平糸巻きを施し、鍔を黒漆塗の革袋で覆った「革包太刀」様式である。この様式を特に「鬼丸拵(おにまるこしらえ)」と呼び、革包太刀拵の代名詞となっている。

粟田口国綱の代表的な作品

  • 御物鬼丸国綱

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