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作品の査定・評価について
休翁宗守(一啜斎)の作品を高く評価しております。
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休翁宗守 一啜斎(きゅうおうそうしゅ いっとつさい,1763~1838年)は武者小路千家8代千宗守。家元。休翁、円明、溪澗と号す。
京都の人、川越兵庫の子で直斎の門人であったが、養嗣子となり官休庵の五代となる。高松藩松平家に仕え功績を重ねていた一啜斎は、特に不昧から信頼を得ていたといわれる。天明の大火によって焼失した直斎好みの一方庵を復興するにあたり、構えを刷新した「半宝庵」を再建。6畳から4畳半平面に改め、桝床を設けるなど新たな趣向を作り出した。一啜斎は烏帽子棚、壺々棚や自在棚などの新しい趣きの手造の道具も多く造りだし、好み物よりも自作の作品を多く残していることでも知られる。文政六年、好々斎宗守に譲って隠居し、天保九年に七十六歳で没す。
京都の人、川越兵庫の子で直斎の門人であったが、養嗣子となり官休庵の五代となる。高松藩松平家に仕え功績を重ねていた一啜斎は、特に不昧から信頼を得ていたといわれる。天明の大火によって焼失した直斎好みの一方庵を復興するにあたり、構えを刷新した「半宝庵」を再建。6畳から4畳半平面に改め、桝床を設けるなど新たな趣向を作り出した。一啜斎は烏帽子棚、壺々棚や自在棚などの新しい趣きの手造の道具も多く造りだし、好み物よりも自作の作品を多く残していることでも知られる。文政六年、好々斎宗守に譲って隠居し、天保九年に七十六歳で没す。