作品の査定・評価について
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明治8年(1875年)生。本名 田中鼎(かなえ)。京都府丹後の大庄屋の総領として生まれる。同志社では主に漢学による教育を受け、漢籍を習田雪峰(しゅうだ せっぽう)に学ぶ。郷里で茶の湯を習い、本格的に稽古をするため京都に出て、裏千家・前田瑞雪(まえだ ずいせつ)に師事、円能斎より一子相伝十二伝台子の皆伝を受ける。後には、石州流も皆伝。
建仁寺管長竹田黙雷老師のもとに参禅し、鳥尾得庵らの知遇を得て、明治31年(1898年)、茶道の復興を志し大日本茶道学会を創設。
流儀の制約を超えた交流研究を求めて「書物の発行」「点前の公開」など茶道の改革に乗りだす。この試みは、現在の月刊『茶道の研究』の刊行や「茶道夏期講習会」に至っている。
更には、『南方録』をはじめとする茶書研究に専念。特に『南方録』の再評価活動は、近代における茶道の精神性への着目へとつながっていった。出版活動・講演を行う他、東京農業大学造園科講師として、茶庭を志す造園家を生み出すなど、茶道文化の本質を追求した生涯は、社会的にも大きな影響を及ぼした。
父翁山の影響で南画に長け、書を西川春洞、俳句を村上鬼城、能を渡吉外次郎について習い、終生の趣味とした。





