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祥翁宗左(吸江斎)の買取
祥翁宗左(吸江斎)の作品を高く評価しております。
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祥翁宗左 吸江斎(しょうおう きゅうこうさい,1818~1860年)は表千家10代千宗左。号は安祥軒・祥翁・省々など。
了々斎の実弟久田家七代皓々斎の子で、幼名は達蔵。了々斎の実子が早世していたため、わずか八歳で急ぎ家元に迎えられて啐啄斎の養子となり、代を継いだ。十歳のときには早くも紀州家へ上がり、十九歳のときには、一時皆伝を預けられていた徳川治宝から、台子真点前の伝授を受けるという異例の扱いを受ける。治宝公は9代了々斎時代の文政二年より、西浜御殿の偕楽園において御庭焼(おにわやき)をはじめ、天保15年には浅黄と紫の交趾釉を用いた華麗な水指を吸江斎が拝領している。吸江斎はその書にも評価があり、二代住山楊甫の後見を得て、箱書などにも代筆がみられるほどである。また、幼年時の筆の無欲な画賛も茶人の間で喜ばれている。晩年は家督を碌々斎に譲り隠居して宗旦を名のる。万延元年に四十三歳で世を去った。
了々斎の実弟久田家七代皓々斎の子で、幼名は達蔵。了々斎の実子が早世していたため、わずか八歳で急ぎ家元に迎えられて啐啄斎の養子となり、代を継いだ。十歳のときには早くも紀州家へ上がり、十九歳のときには、一時皆伝を預けられていた徳川治宝から、台子真点前の伝授を受けるという異例の扱いを受ける。治宝公は9代了々斎時代の文政二年より、西浜御殿の偕楽園において御庭焼(おにわやき)をはじめ、天保15年には浅黄と紫の交趾釉を用いた華麗な水指を吸江斎が拝領している。吸江斎はその書にも評価があり、二代住山楊甫の後見を得て、箱書などにも代筆がみられるほどである。また、幼年時の筆の無欲な画賛も茶人の間で喜ばれている。晩年は家督を碌々斎に譲り隠居して宗旦を名のる。万延元年に四十三歳で世を去った。
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