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作品の査定・評価について
天然宗左(如心斎)の作品を高く評価しております。
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天然宗左 如心斎(てんねんそうさ じょしんさい,1705~1751年)は表千家7代千宗左。家元。幼名与太郎。
号は天然・丁々軒・椿斎。覚々斎の長男として生まれ、宗員を経て宗左となり、不審菴七代目を継いだ。裏千家の七世竺叟・八世一燈はともにその実弟である。四十七の若さで他界した如心斎であるが、時代に即した茶風を創り出した家元として名高く、今日では千家の中興の祖と称される。家元として活躍したわずか二十年ばかりの中でも多くの功績を遺したが、特筆すべきは一燈とともに制定した七事式である。七事式は茶の湯の精神、技術をみがくために制定された稽古法で、数茶(かずちゃ)、廻花(まわりばな)、廻炭(まわりずみ)、且坐(さざ)、茶カフキ(ちゃかぶき)、一二三(いちにさん)、花月(かげつ)の七つがある。基本的に五人一組となって各人それぞれ役割が割り当てられ、五人が一度に稽古できるというもので、遊戯性があり広く受け入れられた。この七事式が生まれたことにより、八畳敷が如心斎の好みとなり、江戸をはじめ各地に写しの茶室がつくられるなど、以後の教導の基本を制定したものとしてその功績は極めて大きい。また利休居士を敬い、伝来の道具を整理し利休形を含む茶器「十二器」を制定した。禅は玉林院の大龍和尚に学び、天然の号を授かった。また如心斎の号は紀州侯から賜ったものであるが、「天然」「如心」ともに心のあるがままが本来の禅であり仏であることを学び、常に自らの命題とした。寛延四年、四十七歳で没している。
号は天然・丁々軒・椿斎。覚々斎の長男として生まれ、宗員を経て宗左となり、不審菴七代目を継いだ。裏千家の七世竺叟・八世一燈はともにその実弟である。四十七の若さで他界した如心斎であるが、時代に即した茶風を創り出した家元として名高く、今日では千家の中興の祖と称される。家元として活躍したわずか二十年ばかりの中でも多くの功績を遺したが、特筆すべきは一燈とともに制定した七事式である。七事式は茶の湯の精神、技術をみがくために制定された稽古法で、数茶(かずちゃ)、廻花(まわりばな)、廻炭(まわりずみ)、且坐(さざ)、茶カフキ(ちゃかぶき)、一二三(いちにさん)、花月(かげつ)の七つがある。基本的に五人一組となって各人それぞれ役割が割り当てられ、五人が一度に稽古できるというもので、遊戯性があり広く受け入れられた。この七事式が生まれたことにより、八畳敷が如心斎の好みとなり、江戸をはじめ各地に写しの茶室がつくられるなど、以後の教導の基本を制定したものとしてその功績は極めて大きい。また利休居士を敬い、伝来の道具を整理し利休形を含む茶器「十二器」を制定した。禅は玉林院の大龍和尚に学び、天然の号を授かった。また如心斎の号は紀州侯から賜ったものであるが、「天然」「如心」ともに心のあるがままが本来の禅であり仏であることを学び、常に自らの命題とした。寛延四年、四十七歳で没している。