作品の査定・評価について
清水六兵衛の作品を高く評価しております。
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清水 六兵衛(きよみず ろくべえ)は、江戸時代中期以来の清水焼陶工の名跡。 代々清水六兵衛と称する。
1世六兵衛愚斎は、摂津の出身。幼名栗太郎。
寛延年間京都に出て陶技を学び、明和5 (68) 年五条坂に窯を開き、清水六兵衛と称した。茶器、置物、文房具などを作り、千宗玄はじめ諸名家から各種の印を与えられた。
また天竜寺桂州和尚より六角形の「清」字印を受け、代々この印を用いる。2世静斎以下今日まで中国、日本の諸陶の写しのほか、染付、赤絵、青磁など広範囲の焼物を制作している。
ことに6世清水六兵衛 (1901~80) は伝統のうえに立って創作陶芸に新風を吹込み、新しい焼成法「玄窯」や新釉「銹よう (しゅうよう) 」などを開発し芸術性を高めた。
1962年日本芸術院会員、76年文化功労者。
80年4月「六兵衛名陶展」の初日に東京の会場で急逝した。翌81年6月、女婿の九兵衛が7代目を襲名。
1世六兵衛愚斎は、摂津の出身。幼名栗太郎。
寛延年間京都に出て陶技を学び、明和5 (68) 年五条坂に窯を開き、清水六兵衛と称した。茶器、置物、文房具などを作り、千宗玄はじめ諸名家から各種の印を与えられた。
また天竜寺桂州和尚より六角形の「清」字印を受け、代々この印を用いる。2世静斎以下今日まで中国、日本の諸陶の写しのほか、染付、赤絵、青磁など広範囲の焼物を制作している。
ことに6世清水六兵衛 (1901~80) は伝統のうえに立って創作陶芸に新風を吹込み、新しい焼成法「玄窯」や新釉「銹よう (しゅうよう) 」などを開発し芸術性を高めた。
1962年日本芸術院会員、76年文化功労者。
80年4月「六兵衛名陶展」の初日に東京の会場で急逝した。翌81年6月、女婿の九兵衛が7代目を襲名。
清水六兵衛の代表的な作品
- 「古稀彩飾皿・秋叢」