作品の査定・評価について
鳥海青児の作品を高く評価しております。
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1916年藤嶺中学校に編入学、1917年から油彩画を描きはじめる。1921年3月、藤嶺中学を卒業。翌月、関西大学予科に入学。1922年から筆名の青児を名乗る。1924年3月、第2回春陽会展で「洋女を配する図」「平塚風景」が初入選。その後、6年連続入選を果たす。また、三岸好太郎に認められる。1927年関西大学経済学部を卒業。
1930年5月、フランスのパリに渡欧。9月にアルジェリアへ。1932年アルジェリアからモロッコへ旅行。アントウェルペンで貿易商を営んでいた宮田耕三に認められる。「闘牛」を制作。1933年、「ノートルダム」を制作。2月には帰国し春陽会会員となり活躍。1943年春陽会を脱退し、独立美術協会会員となり、最晩年まで作品を出品し続ける。
1947年、会津八一、小山冨士夫らに認められる。1952年東京麻布飯倉片町に移転。1953年作庭に興味を持つ。ハリー・パッカードに認められる。第4回サンパウロ・ビエンナーレに10点出品。「かぼちゃ」がニューヨーク近代美術館に収蔵される。1958年文化財保護委員会の審議委員となる。6月に沖縄を再訪。「ピカドール」制作。1963年6月、中川一政を団長とする画家代表団の一員として中国を訪問。1964年ブリヂストン美術館が鳥海の記録映画を制作する。1972年6月11日、肺炎のため死去。享年70歳。
買取実績
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鳥海青児の代表作品
闘牛
1932年に制作された作品で、現在は茨城県近代美術館に所蔵されています。アルジェリアからモロッコへ旅行し、ゴヤの絵画を見るためにスペインのマドリードに5ヶ月滞在した経験が反映されています。闘牛はスペインの国技とされ、マタドールと呼ばれる闘牛士が活躍する伝統的な競技で、鳥海青児はその迫力ある光景を独自の視点で捉えました。
ノートルダム
1933年に制作された作品で、現在はメナード美術館に所蔵されています。ヨーロッパ滞在中に描かれた作品の一つで、パリのノートルダム大聖堂を題材としています。この作品を制作した後、同年2月に帰国し春陽会会員となって活躍しました。鳥海青児の欧州での体験と西洋美術への理解が反映された重要な作品です。
沖縄風景
1940年に制作された作品で、東京富士美術館に所蔵されています。1939年に初めて沖縄へ旅行した際の印象をもとに描かれました。油彩、カンヴァスの作品で、鳥海青児の代表的な風景画の一つです。彼の特徴的な渋い色調と土壁のような質感が活かされた作品です 。
ピカドール
1958年に制作された作品で、平塚市美術館に所蔵されています。同年6月に沖縄を再訪した際に着想を得た作品で、第3回現代日本美術展に出品され、最優秀賞を受賞しました。「ピカドール」は闘牛のテーマに関連する作品で、スペインでの体験と沖縄での印象が融合した作品です。
川沿いの家
1934年に制作された作品で、大原美術館に所蔵されています。第4回サンパウロ・ビエンナーレ展に出品された10点の作品の一つで、のちにニューヨーク近代美術館に「かぼちゃ」が買い上げられるなど、国際的にも評価された時期の作品です。現代美術10年の傑作展(東横デパート)にも出品されるなど、鳥海青児の代表作として認められています。
その他の鳥海青児の代表作リスト
信州の畠 | 道化 | かぼちゃ | オランダ水差しとレモン | 壁の修理 |
昼寝するメキシコ人 | フラメンコ | 平塚風景 | 水無き川 | うづら |
家の修理 | イタリア人の石を運ぶ | 黄色い人 | 伊賀瓶子とメロン | 武装した馬 |
洋女を配する図 | 壷とかぼちゃ | 埴輪 | 琉球風景 |