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難波田龍起の作品を高く評価しております。
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1905年に北海道旭川市で生まれる。1923年早稲田第一高等学院に入学。高村光太郎に出会い、高村光太郎の生き方や芸術観に強い影響を受け、画家としての道を志すようになる。その後早稲田大学政経学部に入学するも中退。
太平洋画会研究所や本郷絵画研究所でデッサンや絵画の勉強を始める。しかし長くは続かず、高村光太郎から画家・川島理一郎を紹介され、師事する。川島理一郎主宰の絵画研究会の金曜会に入会するが、ほぼ独学で画技を習得し、フランスの画家オディロン・ルドンに傾倒する。オディロン・ルドンの作品の特徴は、幻想世界を描いた象徴主義のような作風で、難波田龍起の画風に大きな影響を与えた。
また、1929年の国画会に初入選し、1935年フォルム展、1936年アヴァンギャルド芸術家クラブ結成に参加する。1937年には自由美術家協会の創設に参加し、1938年に同協会会員となる。戦後は、戦後抽象画家として活動、現代日本美術展や日本国際美術展などでも活躍。
その後は自由美術家協会を退会し、以後は個展を中心に作品を発表し活動した。その作品には幾重にも重なる旋律のようで、微妙に変化する色調はフーガやカノンといった音楽を感じる事ができると評価された。
1997年11月に世田谷区内の病院で死去。
一貫して真摯な姿勢を貫き、自身の内面との対話の中から日本的詩情があふれる抽象表現の可能性を追求し続け、西洋にはない独自の抽象画を確立した。また、線画による律動感あふれる作品が多い。
年表
1905年 北海道旭川市で生まれる
1923年 早稲田第一高等学院に入学
1924年 高村光太郎のアトリエを訪れるようになる
1926年 早稲田大学政経学部に入学
1929年 国画会展で初入選となる
1930年 個展を開催
1935年 国画会を退会 フォルムを結成
1936年 アヴァンギャルド芸術家クラブ結成に参加
1937年 自由美術家協会の創設に参加
1938年 自由美術家協会会員となる
1959年 自由美術家協会を退会
1961年 北象会を結成
1971年 紺綬褒章を受章
1973年 戦後日本美術の展開―抽象表現の多様化」展
1987年 東京国立近代美術館で『今日の作家 難波田龍起展』を開催
1988年 毎日芸術賞を受賞
1995年 北海道新聞文化賞受賞
1996年 文化功労者となる
1997年 逝去
買取実績
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難波田龍起の代表作品
生成の詩(1994年)
1994年(平成6年)に制作された油彩画で、倉敷市立美術館に所蔵されています。晩年の代表作の一つで、それまでの長い画業の集大成とも言える作品です。また同タイトルのリトグラフ作品も制作されており、「生成の詩 A」「生成の詩 B」として知られています。
生物的形象
難波田の代表的なシリーズの一つで、彼の創作テーマである「生きもの」を抽象的に表現した作品群です。「生物的形象 A」「生物的形象 B」などの作品があり、1991年にはリトグラフ集としても制作されました。生命体の有機的な形態を抽象的に捉え、独自の線と色彩で表現しています。
木立(中野風景)(1929年)
1929年、第4回国画会展に初入選した作品で、難波田の初期の代表作です。この作品によって画壇にデビューし、その後の活動の足がかりとなりました。まだ具象表現の時代の作品ですが、後の抽象表現への傾向がすでに見られます。
人と自然の形象
難波田の晩年の代表作の一つで、リトグラフとしても制作されました。人間と自然の関係性をテーマにした抽象表現で、彼の芸術哲学が凝縮された作品です。線と色彩の絶妙な調和によって独自の世界観を構築しています。
終着駅は宇宙ステーション
難波田の哲学的思索と宇宙への関心が表れた作品です。彼の二男で画家の難波田史男も同タイトルの作品を1963年に制作しており、親子で宇宙や生命の神秘をテーマにした創作に取り組んでいました。抽象的な線と色彩を通して宇宙と生命の交響を表現しています。
その他の難波田龍起の代表作リスト
海辺の詩 | 街と人 | 凝視 | 泰山木 | 菊見の宴 |
柿の詩 | 裸の立像 | 夕ぐれ | 黄昏の空 | 野外制作 |
果実と少女 | 古代ギリシャ彫刻 | 処女 | アダムの造型 | 若き牧羊神(パン)の首 |
ヴィナスの誕生 | ギリシャ神話の夢 | 生きものの形象 | 石の時間 | 不思議な国の物語 |