作品の査定・評価について
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清水 登之(しみず とし、1887(明治20)年1月1日-1945(昭和20)年12月7日)は、明治から昭和時代に活躍した日本の洋画家である。栃木県下都賀郡国府村大字大塚に生まれる。亜同文書院教授・外交官の清水董三は弟。
幼少期から絵が得意で、栃木中学校在学中に描いたビスマルクの肖像画は明治天皇に献上されたと言われている。また、陸軍士官学校への進学を志し成城学校に転校。1906年に成城学校を卒業。陸軍士官学校への受験には失敗する。
1907年画家を志し、単身アメリカへ渡航。働きながら絵を学び、1912年にオランダ人画家フォッコ・タダマの画塾に入門。1917年にニューヨークへ移り、アート・スチューデンツ・リーグでジョン・スローンらに教わる。その後一時帰国するが、再び渡米。1921年の第34回アメリカ絵画彫刻展に「横浜夜景」が招待出品される。1924年には一家でフランスに移住。サロン・ドートンヌでは入選を果たす。
1927年に帰国。帰国後は東京を拠点として活動。1930年の第17回二科展で「地に憩ふ」を出品し、二科賞を受賞。同年、同志とともに独立美術協会を創立。独立美術協会会員となり、同会を中心に活躍。1932年からは従軍画家として戦争を題材とした絵を多く描く。その後、疎開先の生家で死去した。
年表
1887(明治20)年 栃木県に生まれる
1901(明治34)年 栃木県立栃木中学校 入学
1905(明治38)年 成城学校に転校
1906(明治39)年 成城学校 卒業
1907(明治40)年 渡米
1912(大正元)年 フォッコ・タダマに師事
1917(大正6)年 アート・スチューデント・リーグで学ぶ
1920(大正9)年 一時帰国、結婚
再渡米
1921(大正10)年 第34回アメリカ絵画彫刻展 受賞取り消し
1924(大正13)年 渡仏
1925(大正14)年 サロン・ドートンヌ 入選
1927(昭和2)年 帰国
1929(昭和4)年 二科展 樗牛賞
1930(昭和5)年 第17回二科展で「地に憩ふ」を出品 受賞
1932(昭和7)年 従軍画家
1945(昭和20)年 死去
幼少期から絵が得意で、栃木中学校在学中に描いたビスマルクの肖像画は明治天皇に献上されたと言われている。また、陸軍士官学校への進学を志し成城学校に転校。1906年に成城学校を卒業。陸軍士官学校への受験には失敗する。
1907年画家を志し、単身アメリカへ渡航。働きながら絵を学び、1912年にオランダ人画家フォッコ・タダマの画塾に入門。1917年にニューヨークへ移り、アート・スチューデンツ・リーグでジョン・スローンらに教わる。その後一時帰国するが、再び渡米。1921年の第34回アメリカ絵画彫刻展に「横浜夜景」が招待出品される。1924年には一家でフランスに移住。サロン・ドートンヌでは入選を果たす。
1927年に帰国。帰国後は東京を拠点として活動。1930年の第17回二科展で「地に憩ふ」を出品し、二科賞を受賞。同年、同志とともに独立美術協会を創立。独立美術協会会員となり、同会を中心に活躍。1932年からは従軍画家として戦争を題材とした絵を多く描く。その後、疎開先の生家で死去した。
年表
1887(明治20)年 栃木県に生まれる
1901(明治34)年 栃木県立栃木中学校 入学
1905(明治38)年 成城学校に転校
1906(明治39)年 成城学校 卒業
1907(明治40)年 渡米
1912(大正元)年 フォッコ・タダマに師事
1917(大正6)年 アート・スチューデント・リーグで学ぶ
1920(大正9)年 一時帰国、結婚
再渡米
1921(大正10)年 第34回アメリカ絵画彫刻展 受賞取り消し
1924(大正13)年 渡仏
1925(大正14)年 サロン・ドートンヌ 入選
1927(昭和2)年 帰国
1929(昭和4)年 二科展 樗牛賞
1930(昭和5)年 第17回二科展で「地に憩ふ」を出品 受賞
1932(昭和7)年 従軍画家
1945(昭和20)年 死去
清水登之の代表的な作品
- 「ヨコハマ・ナイト」
- 「セーヌ河畔」
- 「パリ夜街」