佐伯祐三の買取
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1917年(大正6年)東京の小石川(現在の文京区)にあった川端画学校に入学。藤島武二に師事する。
旧制北野中学(現在の大阪府立北野高等学校)を卒業。
1918年(大正7年)、東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科入り、そこでも藤島武二に師事し、1923年(大正12年)に同校を卒業。
卒業する時に、自画像を描き母校に寄付することが伝統である東京美術学校では、佐伯の自画像も現存している。
この自画像は鋭い眼光が印象的なもので、作風の面では、印象派風の穏やかなものである。
後のパリ滞在中の作風とは、かなり別物である。在学中に結婚した佐伯の妻、佐伯米子も絵を描き、二科展にも入選する実力であった。
満30歳で没するまでの6年という短い画家人生の中で、2度パリに滞在し、佐伯の作品のほとんどがパリで描かれたものだ。
初めてのパリの滞在期間は約2年間であった。1924年、佐伯はパリ郊外のオーヴェール・シュル・オワーズに、フォーヴィスムの画家モーリス・ド・ヴラマンクを訪ねた。
佐伯は、自作「裸婦」を見せたところ、ヴラマンクに「このアカデミックめ!」と蹴とばされ、強いショックを受けたとされており、その後、何度かヴラマンクを訪ねている。
実際、佐伯の画風は変化し始めたのはこの頃からである。パリの街頭風景を描いたものが多くあり、ヴラマンクとともにユトリロの影響を受けていた。
佐伯は、長くパリに滞在していたかったが、体を心配した家族らの説得に応じ、1926年に1度日本へ帰国した。
パリからの友人、前田寛治、里見勝蔵、小島善太郎らと「1930年協会」を結成した。
2回目のパリでは、それから間もない1927年の8月からである。佐伯は、この後、日本へ帰国することはなかった。
佐伯は勢力的に制作活動を続けた。しかし、1928年、持病の結核が悪化したほか、情緒不安定となった。
屋外で描いた最後の作品が「黄色いレストラン」である。屋内では、「郵便配達夫」などをその後も描く。
自殺未遂をし、セーヌ県立ヴィル・エブラール精神病院に入院。一切の食事を拒み、衰弱死した。
佐伯祐三の代表的な作品
- 「オーヴェールの教会」
- 「パリの寺院」
- 「パリの裏街」
- 「レ・ジュ・ド・ノエル」
- 「広告のある門」
- 「リュ・デュ・シャトーの歩道」
- 「コルドヌリ」
- 「ガス灯と広告」
- 「雪景色」
- 「オプセルヴァトワール附近」
- 「テラスの広告」
- 「裏街の広告」
- 「リュクサンブール公園」
- 「広告“ヴェルダン”」
- 「郵便配達夫」
- 「サンタンヌ教会」
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