小林一茶 日記切
「のらくらや勿体なくも日の長き」
小林一茶の日記を十一幅に仕立てた掛け軸の中の一幅です。
小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれました。働き者の義母になじめなかった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出て、奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころに俳句の道をめざすようになりました。40代になる頃には俳諧師として生計を立て、50代には俳諧師として全国的に名が知られ、多くの門人を抱えるようになりました。
「のらくらや勿体なくも日の長き」
小林一茶の日記を十一幅に仕立てた掛け軸の中の一幅です。
小林一茶は、1763(宝暦13)年、長野県北国街道柏原宿(現信濃町)の農家に生まれました。働き者の義母になじめなかった一茶は、15歳の春、江戸に奉公に出て、奉公先を点々とかえながら、20歳を過ぎたころに俳句の道をめざすようになりました。40代になる頃には俳諧師として生計を立て、50代には俳諧師として全国的に名が知られ、多くの門人を抱えるようになりました。