
商館時計(アール・シュミット社製 エフ・ヘロブ商會ケース付き)
大正時代の「商館懐中時計」は、西洋の機械式時計が日本の近代化とともに発展し、ハイカラな文化として花開いた時代の象徴です。単なる時刻を知る道具を超え、当時のエリートたちの美意識とロマンを今に伝える、魅惑のアンティークの世界をご紹介いたします。
目次
文明開化の波と商館時計の誕生
そもそも「商館時計」とは何か。それは明治から大正にかけて、日本に数多く存在した外国人が経営する輸入商社(商館)が、日本の顧客の好みや仕様に合わせてスイスやイギリスなどのメーカーに特注し、輸入・販売していた懐中時計の総称です。
時計の歴史において、日本では長い間「不定時法」を用いていましたが、明治5年の太陽暦導入(改暦)によって「定時法」へと移行しました。それに伴い、正確な時間を知る必要性が急速に高まったのです。この時代、まだ国内での懐中時計の量産体制は整っておらず、横浜や神戸などの港町に居留地を構えた外国商館が、西洋の最先端技術を日本社会へ供給する重要な役割を果たしました。
代表的な商館としては、スイスの時計宝飾師の家系であり、いち早く日本市場を開拓した「ファブル・ブランド」、あるいは「レッツ」などが挙げられます。彼らは日本の役人や軍人、財界人といった特権階級の人々をターゲットに、贅を凝らした美しい懐中時計を次々と日本に送り込みました。
大正ロマンと「見せる時計」
大正時代に入ると、日本は第一次世界大戦の好景気に沸き、文化や生活様式に大きな変化が訪れました。いわゆる「大正ロマン」の時代です。都市部にはカフェーが立ち並び、モダンガール(モガ)やモダンボーイ(モボ)といった新しい若者文化が台頭する一方で、富裕層の間では西洋のライフスタイルを粋に取り入れることがステータスとなりました。
この時代、懐中時計は単にベストのポケットにしまっておくものではありませんでした。鎖(チェーン)や組紐を使い、胸ポケットから提げて、歩くたびにチラリと覗かせる「見せる時計」としてのファッション性が極めて重要視されたのです。
文字盤にはアラビア数字が用いられ、視認性を高めるとともに、彫金が施されたシルバー(銀無垢)やゴールドのケースが主流でした。裏蓋を開けると、そこにはスイスの伝統的な時計製造技術が息づいており、美しい装飾が施されたムーブメント(機械)が精密に時を刻んでいました。当時の人々は、その小さな機械が規則正しく動く姿に、未来への希望や西洋への憧れを重ね合わせていたのかもしれません。
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刻印に隠されたエピソードと日本仕様
商館時計の大きな魅力の一つに、裏蓋やムーブメントに刻まれた「刻印」があります。これらは単なる製造番号やブランドロゴではなく、商館や顧客のこだわりを物語る歴史の証人です。
スイスの工房で作られた時計であっても、日本の輸入商館の注文によって、文字盤やケースに様々な工夫が凝らされました。中には、商社独自のトレードマークが刻印されたものや、日本の時計商が自らの屋号をカタカナで刻印したものも存在します。たとえば、「蝶に矢」といった和風の意匠を取り入れたものや、当時の日本の消費者に受け入れられやすいよう、洗練されたアラビア数字を採用するなど、細かなカスタマイズが施されていました。
このような「日本仕様」の懐中時計を身につけることは、当時の粋人たちにとって、自分だけの特別な時計を持つことの喜びであり、知性と財力をアピールする絶好の手段でもありました。
ある商館時計が語る物語
ここで、大正時代に輸入された商館時計にまつわる一つのエピソードをご紹介しましょう。
とある旧家の蔵から見つかった、ファブル・ブラント商会の銘刻が入った銀無垢の懐中時計。この時計は、大正時代初期に地方の有力な実業家が、自身の事業成功を記念して奮発して手に入れたものだと言い伝えられています。
当時はまだ、現代ほど厳密な時間管理が社会全体に浸透していたわけではありませんでしたが、この実業家は事業の近代化を図るため、正確な時を刻むこの商館時計を何よりも大切にしていました。会議の際、ベストからこの銀無垢の時計を静かに取り出し、蓋をパチンと開けて時間を確認する姿は、周囲の者たちに強い印象を与えたそうです。
やがて時代は昭和へと移り、戦争の足音が近づく中で、この時計は金属供出の対象となる可能性もありました。しかし、当主はこの時計が持つ高い芸術性と西洋文化の象徴としての価値を信じ、蔵の奥深くに厳重に隠して守り抜きました。
戦後の混乱期も乗り越え、現在ではゼンマイを巻くことでカチカチと小気味よい音を立てて力強く動き出します。このエピソードは、単なる貴金属ではなく、激動の昭和を生き抜き、大正ロマンの記憶を今に伝える「タイムカプセル」としての商館時計の価値を物語っています。
国産時計の台頭と懐中時計の黄昏
大正時代の中盤から後半にかけて、日本の時計産業も飛躍的な進歩を遂げました。特に、服部時計店(現在のセイコーグループ)の製造部門である精工舎は、1913年(大正2年)に日本初となる腕時計「ローレル」を発表し、時代の先陣を切っていました。
懐中時計の分野においても、国産化への挑戦が続けられており、商館時計が独占していた市場に国産の製品が徐々に食い込んでいくことになります。これにより、かつては一部の富裕層のものであった西洋式の懐中時計が、より幅広い層の人々に行き渡るようになりました。
さらに、時は流れて昭和初期以降、懐中時計から腕につける「腕時計」へと主流が移り変わっていきます。利便性や携帯性に優れた腕時計の普及により、かつて大正の紳士たちの胸ポケットで輝いていた商館懐中時計は、徐々にその第一線から退き、歴史の表舞台から姿を消していくことになりました。
現代に受け継がれる商館時計の魅力
今日において、商館時計は単なるアンティークウォッチ、あるいは骨董品としての高い価値を持っています。海外のオークションや骨董市では、今なお多くの愛好家によって取引されており、その人気は衰えることを知りません。
商館時計の魅力は、その希少性や美しいデザインだけに留まりません。明治から大正、そして昭和へと繋がる日本の近代化の歴史を、身をもって体験できる点にこそ最大の価値があります。スイスの職人技と、日本の輸入商社、そしてそれを身につけた当時の人々――。それぞれの時代を生きた人々の想いが、何十年という歳月を経た今も、小さな金属のケースの中で息づいているのです。
大正時代の商館時計を手にとり、裏蓋を開けて精緻なムーブメントを眺める時、私たちは時空を超えて、大正ロマンの香りが漂うモダンな時代へとタイムスリップすることができます。当時のエリートたちが胸ポケットに忍ばせた「時間」は、現代を生きる私たちにとっても、色褪せることのないロマンを紡ぎ続けているのです。
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。
