1878年    明治11年、大阪市東区本町の仮寓で、伊勢商人の長男として生まれる
1894年 16歳 三重県尋常中学校(現・三重県立津高等学校)で当時同校で教えていた藤島武二に洋画を学ぶ
1900年 22歳 東京専門学校(現・早稲田大学商学部)に入学(翌年退学する)
1901年 23歳 川喜田四郎兵衛の長女・為賀と結婚
1912年 34歳 津市南郊外にある千歳山を購入する
1913年 35歳 中国・朝鮮半島を旅行し、各地の陶土を持ち帰る
1915年 37歳 父の命日に千歳山に邸宅を建築し移住する
1923年 45歳 長男、壮太郎と欧米旅行に出かけ、マチス、ボナールらの名画を入手。この頃「無茶法師」と号す
1925年 47歳 楽焼師、長江寿泉の設計による両口の倒炎式石炭窯を千歳山に築窯、初窯を焚く
1930年 52歳 私財を投じて財団法人石水会館を設立、千歳山に「千歳文庫」を建てる
1932年 54歳 自己流で本窯を炊き上げる。茶の湯の師匠、久田宗也に所蔵される
1933年 55歳 小山富士夫に築窯を依頼、二袋の煙突式薪窯を焚くが失敗に終わる
1934年 56歳 朝鮮、鶏龍山の古窯跡をヒントに自ら三袋の登窯を築窯、成功する
1935年 57歳 伊賀上野城内の古窯跡を発掘。「やきもの趣味」に泥仏堂日録を寄稿する
1936年 58歳 加藤唐九郎と共同で翠松園に天狗窯築窯。金重陶陽、北大路呂山人との交流が始まる
1937年 59歳 加藤唐九郎と決別。赤絵を始めて試みて、赤坂山王下の茶屋で「無茶法師作陶展」開催。荒川豊蔵との交流始まる
1938年 60歳 還暦記念に「赤絵梅文茶碗」を61碗制作する。陶陽窯を訪ねる
1940年 62歳 荒川豊蔵と鳴滝の乾山窯を調査する。古伊賀水指の名品「破袋」に倣って伊賀水指「破袋」を制作。陶陽窯訪問
1941年 63歳 仁和寺で「仁和寺御記」を拝見。池田家所有の「陶工必要」を筆写する
1942年 64歳 荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休雪を千歳山に招来し「からひね会」結成。「乾山異考」刊行
1943年 65歳 作品集「千歳山半泥子六十六碗鑒」を便利堂から刊行
1947年 69歳 千歳山より戦中疎開した広永に築窯「広永窯」にて初窯を焚く
1949年 71歳 金重陶陽、広永窯来訪。「大吹雪」制作
1954年 75歳 喜寿を記念して、喜寿祝賀77碗をつくる
1956年 78歳 藍寿褒章受章
1957年 79歳 八十寿祝賀会開催。参加者100人に記念の茶碗と図録「半泥子八十賀百碗鑑」を贈る
1963年    昭和38年、86歳で逝去

豊富な財力で、様々な文化事業を支援。1930年に「財団法人石水会館」を設立。同年、自宅のある津市南部の千歳山に川喜田家の所蔵品収蔵庫として千歳文庫を建設した。1942年「からひね会」を結成し、「荒川豊蔵」「金重陶陽」「三輪休雪」ら3人の人間国宝を支援するなど全国の陶芸家と交流を持つ。戦後、千歳山の自宅が進駐軍に接収されたため郊外の広永へと移転。自宅にあった窯もこの地に移した。1955年には再び千歳山に住まいを移した。
死後、「石水会館」は半泥子が生涯をすごした津市の丸之内に1980年「石水博物館」を設立し、川喜田家に所蔵されていた半泥子の作品を公開している。石水博物館はその後、2011年に半泥子の自宅と千歳文庫のある千歳山に新築移転した。

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