狩野芳崖 掛け軸「雪庭遊鴛之図」他
狩野芳崖の掛け軸です。
狩野芳崖は、幕末から明治にかけて活躍した日本画家で、近代日本画の父と呼ばれ、橋本雅邦と並び称されます。
下関に生まれ、江戸に出て狩野勝川に師事し、従来の狩野派の技法に西洋画の技法を取り入れ、新しい日本画の領域を開拓しました。
芳崖とフェノロサとの出会いの影響は決定的で、知り合ったときに肺を病み54歳となっていましたが、さまざまな試行錯誤の結果、畢生の名作「悲母観音」が誕生しました。芳崖は東京美術学校の教官に任命されますが、「悲母観音」を書き上げた4日後の1888年11月5日、同校の開学を待たずに死去しました。