
斉白石の概要
斉白石は貧しい農家に生まれ、大工の見習いから独学で歩みを始め、20世紀の中国画に革命を起こしました。
現代中国画の巨匠であり、書、篆刻の分野でも偉大な足跡を残しました。
人民芸術家
斉白石は、辛亥革命と社会主義革命の、二つを経験した、長寿の画家でした。
貧農の出身である斉白石は、常に権力に対して批判的であり、抑圧された階級に属する者の立場を忘れまい、とつとめていたようです。
そのため、従来の文人が好んだ風雅な画材とは異なり、農民にとっても親しみやすい蝦・蟹・鮭などを描きました。また、人物画では清官、貪官、汚吏(腐敗した官僚ら)を鞭打つ画賛をともなった鍾馗などを描いています。
その一方で、農民的な狡獪さも持ち合わせていたようです。
中華人民共和国が成立してからは、その卓越した才能と農民出身という経歴から、政府によって高く評価されました。1953年には「人民芸術家」の称号を与えられ、1956年には冷戦当時に東側諸国(社会主義国)政府の主導で設立された国際平和賞も受賞しています。
硬直化していた中国画壇
1919年、斉白石は北京に本格的に居を構えますが、当時の北京の画壇は保守的な気風が濃厚でした。
臨模・倣古(過去の名画の模写や作風に倣うことでその技法を習得すること)を重んじ、その技法に来歴があることに価値をおいていました。
また、農夫で木工出身(下層社会)の斉白石を見下し、彼の絵画が粗野で「野狐禅(仏教用語でまだ悟っていないのに悟ったつもりでいること)」であると攻撃しました。
伝統的な文人画に、素朴で庶民的な感性を取り入れた斬新さは、「俗っぽいもの」と見なされたようです。
斉白石の、伝統を学習し、継承し、変革する作風を見出す慧眼を持っていたのが陳師曾、そして日本画壇です。
斉白石を評価した日本画壇
斉白石の芸術を高く評価し、いち早く世に広めたのは、当時の日本の知識人や荒木十畝、渡辺晨畝らが属していた日本画壇のネットワークであったと美術史において分析されています。
彼らは1922年には東京で「第二回日華絵画聯合展覧会」を開催しました。 その際、中国側の代表として画家の陳師曾が北京の画家たちの作品を携えて来日しました。この時、陳師曾が日本に持ち込んだ作品の中に、当時北京でまだ無名に近く生活に困窮していた斉白石の絵画が含まれていました。
力強い筆線と明るく華やかな色彩が、当時の日本人の心を掴み、好評を博しました。
この日本での展覧会以来、外国人が北京に来て、絵を買う者が増えた、と斉白石は回想しています。
斉白石の作風
似与不似之間(じふふしのあいだ)
作画妙在似与不似之間,太似為媚俗,不似為欺世(作画の妙は似と不似の間にあり、はなはだ似るは媚俗となり、不似なるは欺世となる) という格言がもとになっており、「ただ本物そっくりに描くだけでは俗っぽく(媚俗)、かといって全く似ていなければ人を欺くこと(欺世)になる。真の芸術は、その中間の絶妙なバランスにある」という彼の独自の芸術観を示しています。
斉白石はたとえば蝦や蟹を、数本の墨線だけで躍動感を表現したり、墨の濃淡や姿勢の変化で差異をつけて動きを想起させたりする、写意画(心象を描く画法)の達人でした。

紅花墨葉
斉白石が確立した独自の画風であり、鮮やかな紅色(カーマインなど)で描かれた花と、力強く濃淡を効かせた墨一色で描かれた葉や幹を画面の中で大胆に対比させる表現方法です。
50代半ばで故郷の湖南省から北京へと移住した斉白石は、当初は伝統的な文人画に倣った地味な水墨画を描いていましたが、北京の市場では評価されませんでした。そこで、師友の画家・陳師曾の助言や、当時上海で一世を風靡していた巨匠・呉昌碩の鮮やかな色彩表現に影響を受け、この画風を確立しました。
従来の文人画(知識人の絵画)は、色彩を抑えた地味な水墨を「高尚(雅)」とし、鮮やかな色は「俗っぽい」として排除する傾向にありました。しかし「紅花墨葉」は、文人画の持つ洗練された墨の抽象性と、斉白石が農民・木彫職人出身の経歴の中で培った「民衆的な生命力・おめでたい色彩感覚」を見事に結びつけた、清新雄健なイノベーションであると評価されています。
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斉白石の何がすごいのか?
東洋のセザンヌ
日本における斉白石コレクションを遺した外交官・須磨弥吉郎は、斉白石を「東洋のセザンヌ」と評しました。
中国画史に残る沢山の作品から影響を受けながらも独創的で、独特の色彩、その筆致がヨーロッパの後期印象派の作品にも匹敵すると考えたためです。
また、斉白石は中国の画家には珍しく、スケッチ、屋外での写生や素描を重視していました。ただ単に「胸中の山水」を想像して描くのではなく、1903年~1909年までの「五出五帰」と呼ぶ大旅行で、実際に中国全土を旅して芸術的視野を広げました。それをセザンヌが対象を深く観察して独自の画面を構築するためにスケッチ(写生、素描)を重視していたことになぞらえていました。
また須磨氏は斉白石の芸術の神髄は「山水にあり」と喝破しました。
斉白石が現代風に山水画を再構築したことを、セザンヌがサント=ヴィクトワール山を愛し描写したことにも踏まえています。

「雅(エリート文化)」と「俗(大衆文化)」 の融合
斉白石は文人画の洗練された水墨技術と、彼自身が農民・木彫職人として培った鮮やかな色彩感覚(紅花墨葉)や身近な自然への親しみを見事に結びつけ、「雅俗共賞(知識人も大衆も共に楽しめる境地)」という近代中国画のイノベーションを成し遂げた点が傑出していると評されています。
斉白石作品の価値
近代中国画の巨匠である斉白石の作品価値は、現代のグローバルな美術市場においてトップクラスです。その評価はピカソやアンディ・ウォーホルに匹敵し、オークションでは巨額の資金が動きます。
オークションでの最高落札額
斉白石の市場価値を最も象徴するのが、世界的なオークションでの記録です。
《山水十二屏》(十二幅対) 160億円
2017年の北京のオークションにて、当時のレートで約160億円(9億3150万元)で落札されました。これは、中国の美術品として世界最高額の記録であり、世界の美術史上でも「100億円を突破した数少ない画家」の仲間入りを果たした瞬間でした 。
一般的な掛け軸・絵画
数十万円 〜 数百万円
通常のサイズで、比較的シンプルな絵柄のものでもこのクラスの価格帯からスタートします。
価値が高い理由
中国国内の富裕層・コレクターによる圧倒的需要
中国の急速な経済発展に伴い、自国のトップアーティストである斉白石の作品を買い戻す動きが活発です。「富とステータスの象徴」として、中国の企業家や投資家、美術館が競って買い求めています。
日本にある作品への高い信頼
斉白石は非常に贋作が多い画家です。しかし、日本にある作品の多くは、戦前〜昭和中期に日本のコレクターが現地で本人から直接、あるいは信頼できるルートで購入し、大切に保管されてきたものです。 市場では「日本から出てきた斉白石は本物である確率が高い(来歴がクリーンである)」とみなされるため、海外のバイヤーからも付加価値が上乗せされて高く評価されます。
掲載価格は過去のオークション実績などを参考にした市場相場の一例です。
実際の査定額・買取価格を保証するものではありません。
ご自宅や蔵に眠る斉白石の作品を、正しく未来へ
前述した通り、日本で大切に保管されてきた斉白石の作品は、その「来歴の確かさ」から今、世界中の美術市場で極めて高く評価されています。
「古い掛け軸があるが、本物かどうかわからない」
「祖父が昔収集していた中国絵画の価値を知りたい」
私たち古美術永澤では、斉白石独自の筆致や「紅花墨葉」の色彩、印影の真偽までを見極める専門の鑑定眼で、あなたの大切な作品を丁寧に査定いたします。 激動の時代を越えて受け継がれた文化的価値を、正当に評価し、次の世代へ受け継ぐ架け橋となります。まずはお気軽にご相談ください。
斉白石作品を展示している美術館紹介
日本の美術館
京都国立博物館
《宋法山水図》《鶴図》をはじめ、花鳥画、水族画(蝦、蟹)、山水画など計33点。
大正から昭和初期にかけて外交官として中国に在任した、須磨弥吉郎のコレクションを収蔵しています。
東京国立博物館
東洋館の「中国の絵画」展示室などで定期的に公開。
中国の美術館
北京画院美術館
斉白石が晩年に名誉院長を務めたゆかりの機関であり、2,000点以上におよぶ斉白石の絵画、書、篆刻、下絵、手稿などを収蔵しています。
参考文献
- 斉白石 自述, 張次渓 筆録, 足立豊 訳(
- 董玉龍(
- 京都国立博物館 編 (
担当
コラム編集室 AYA
サイトコラム編集者
西洋美術が好きだけど、最近東洋美術も面白く感じてきた。学芸員資格を持っている。作家コラムを中心に更新中。
