
神保町の記憶と「いもや」の肖像
東京・神保町といえば、世界に冠たる古書街として知られています。重厚な文学全集から、黄ばんだ戦前の雑誌、マニアックな専門書にいたるまで、活字の海がどこまでも広がる街です。しかし、この街のもう一つの輪郭を形作っているのは、間違いなく「匂い」です。古書の放つ、わずかに甘く埃っぽい紙の匂い。そして、それに割り込むように路地裏から漂ってくる、香ばしい胡麻油の匂いです。
その匂いの主こそが、かつて神保町の路地にいくつもの暖簾を掲げていた「いもや」でした。天ぷら定食の「いもや」、天丼の「いもや」、そしてとんかつの「いもや」。1959年(昭和34年)の創業以来、この店は半世紀以上にわたり、神保町の日常に溶け込んできました。
天ぷらといえば、江戸の昔には屋台で手軽に食べられる庶民の食べ物でしたが、時代が下るにつれて料亭で供されるような高級料理へと発展していった側面があります。しかし「いもや」は、そんな天ぷらを学生や庶民が気軽に楽しめる料理として提供し続けました。
ワンコイン、あるいはそれに少し色をつけたほどの手頃な値段で、揚げたての天ぷらを提供する。その存在は、神保町という知の集積地に根付いた、飾らず温かい大衆食文化の象徴でもありました。
大衆食堂としての美学
「いもや」の暖簾をくぐると、そこには独特の静かな空間が広がっていました。厨房を囲むのは、毎日きれいに磨き上げられた白木のカウンターです。揚げ物を扱う店でありながら、店内は清潔に保たれ、厨房や調理器具にも店の姿勢が表れていました。
店内にBGMはありません。聞こえてくるのは、パチパチと軽快に爆ぜる油の音と、職人が「いらっしゃい」「天丼」「天ぷら」と発する、低く簡潔な声だけです。客たちもまた、必要以上に言葉を交わすことなく、目の前の丼や皿に集中します。それは一種の儀式のようでもあり、「いもや」ならではの時間が流れていました。
席に座ると、熱いお茶とたくあんが出されます。そして、職人のよどみのない動きによって、ご飯、味噌汁、そして主役の天ぷらが目の前へと運ばれてきます。
海老、いか、きす、かぼちゃなどの天ぷら。衣は決して厚すぎず、素材の持ち味を生かした軽やかな食感に仕上げられていました。タレは甘すぎず辛すぎず、ご飯をかき込む手を止めさせない絶妙な塩梅です。
この一連の流れるようなスピード感と、徹底された清潔さこそが、「いもや」が長年培ってきた大衆食堂としての機能美であり、一つの美学でもありました。
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学生たちの胃袋と「安さ」の思想
神保町とその周辺の御茶ノ水、駿河台エリアは、明治大学、専修大学、日本大学などのキャンパスが集まる、都内有数の学生街でもあります。
昭和の時代、地方から上京し、限られた仕送りやアルバイト代で生活しながら学問に励んだ学生たちにとって、安くて温かい食事を腹いっぱい食べられる店は、日々の暮らしを支える心強い存在でした。「いもや」もまた、そうした学生たちの胃袋を長年にわたって支えてきた店の一つです。
ポケットの中の小銭を数え、暖簾をくぐる。そこには、時代が移り変わっても、できる限り手頃な価格を守りながら客を迎え入れる「いもや」の姿勢がありました。
ここで提供される「安さ」は、決して手抜きの同義語ではありません。仕入れを吟味し、無駄を削ぎ落とし、職人の熟練した仕事によって効率よく料理を提供する。その積み重ねによって、多くの人が気軽に立ち寄れる価格が実現されていました。
「腹が減っては戦はできぬ」といいます。本を買い、知識を蓄え、やがて社会へ出ようともがく若者たちに、「いもや」は満足できる一食を提供し続けました。
炊きたてのご飯と揚げたての天ぷらを頬張るひとときは、懐具合を気にする学生たちにとって、小さくとも確かな満足を感じられる時間だったことでしょう。
胃袋をつかむとは、単に味覚を満足させることだけではありません。人々の日々の暮らしを、食という最も基本的な部分から支えること。それもまた、大衆食文化が果たしてきた大切な役割なのです。
現代へのオマージュ――失われた白木を求めて
しかし、時代の波は容赦なく押し寄せます。2018年3月、神保町に残っていた「いもや」の店舗が相次いで暖簾を下ろしました。その知らせを受け、店の味と空間を惜しむ多くの人々が訪れました。
長年通い続けた人にとって、馴染みの店がなくなることは、単に食事をする場所を一つ失うというだけではありません。学生時代や若き日の記憶、街を歩いたときの空気、誰かと交わした会話までが、一つの店と結びついていることがあります。
「いもや」は、まさにそうした店だったのでしょう。
それから時代は平成から令和へと移り、外食を取り巻く環境も大きく変わりました。タイムパフォーマンスや効率化が重視され、スマートフォン一つで店を探し、料理を注文し、評価まで確認できる時代です。洗練された飲食店や全国どこでも同じ味を楽しめるチェーン店も、私たちの日常に欠かせない存在となりました。
その一方で、「いもや」が大切にしていたものは、決して古びてはいません。
余計な装飾をせず、店を清潔に保ち、職人が自分の仕事に集中する。そして、できるだけ手頃な価格で、きちんとした一食を客に提供する。
そこに派手な演出はありません。しかし、その潔さと誠実さこそが、「いもや」という店の魅力でした。
現代の飲食店にも、形こそ違えど、こうした精神を感じさせる店があります。簡素な店構えでありながら、料理と清潔さには決して妥協しない店。学生や働く人々が日常的に通える価格を守ろうとする店。そして、過剰なサービスではなく、一杯の料理そのものによって客を満足させようとする店です。
「いもや」という暖簾そのものがなくなったとしても、そこにあった大衆食堂の精神までが消えてしまったわけではありません。
形を変えながら、その精神は令和の街にも受け継がれているのです。
結び――暖簾は消えても、油煙は消えず
神保町の「いもや」という実体としての店舗は、すでに歴史の一部となりました。私たちが今、かつて店のあった路地を歩いても、街を包んでいた香ばしい胡麻油の匂いを直接嗅ぐことはできません。
しかし、「いもや」が遺した足跡は深く、多くの人々の記憶のなかに残っています。
それは、日本の外食文化が忘れてはならない「飾らない凄み」を教えてくれます。高級な食材をこれ見よがしに並べるのではなく、身近な食材を職人の技と徹底した仕事によって、一杯の満足できる料理へと仕上げる。そして、それを必要とする人々に届く価格で提供し続ける。
料理とは、豪華であることだけが価値ではありません。毎日の暮らしのなかで、誰かの空腹を満たし、ほんの少し元気にして、再び街へ送り出す。そんな一食にもまた、長く人々の記憶に残る力があります。
神保町の「いもや」は消えました。
しかし、あの白木のカウンターで背中を丸めて天丼や天ぷらを食べた多くの人々の記憶のなかで、あの懐かしい油煙は、いまもなお静かに立ち上り続けているのです。
そして、店はなくなっても、そこにあった時代の記憶まで消えてしまうわけではありません。
古い器や道具、看板、写真といった品々には、それを使った人々の暮らしや、その街が重ねてきた時間が静かに刻まれています。長く使われた器の擦れや、古びた道具の手触り、色褪せた写真の一枚一枚もまた、文字だけでは伝えきれない時代の姿を私たちに語りかけてくれます。
骨董品や古道具を見る面白さもまた、品物そのものの美しさや希少性だけではなく、その向こうにある人々の営みを想像できるところにあるのかもしれません。
かつて誰かが使い、眺め、暮らしのなかで大切にしていたものが、時を越えて次の人の手へと渡っていく。そこには、失われていく時代の記憶を、品物という形で未来へつないでいく営みがあります。
古美術永澤では、古い陶磁器や漆器、民芸品をはじめ、昔の暮らしや文化を伝えるさまざまなお品を拝見しております。ご自宅や蔵の整理などで見つかった古い品や、由来・価値の分からないお品がございましたら、どうぞお気軽にご相談ください。
一つの品に残された小さな痕跡から、かつてそこにあった暮らしや時代が見えてくることがあります。そうした記憶を次の時代へとつないでいくことも、古美術を扱う仕事の一つだと私たちは考えています。
■参考文献
遠藤哲夫『大衆食堂パラダイス!』
担当
田川伸一
随筆家
随筆家。「文化史」「比較文化」など文化を通して現代社会にアプローチし、執筆活動を行う。美術に関するエッセイなどを更新中。
