李朝の買取について

買取強化中 2019.06.05

古美術永澤では李朝の骨董の買取に力を入れています。
李朝陶磁器の中でも李朝白磁にお心あたりがありましたらぜひご相談下さい。

1392年、高麗に代わり李成桂が立てた国号が「朝鮮」であり、その時代の王朝を日本では李朝と呼んでいます。
李朝が成立した同年、日本では南北朝の動乱が終わり室町幕府が確立。また中国では約20年前に元から明に移り変わり、初代洪武帝が統治していました。明の影響下にありながらも、高麗とは異なる独自の文化が開花したのは、儒学の広がりが要因の一端といえるでしょう。朝鮮半島では古くから仏教が主流をなしていましたが、儒教(朱子学)の伝来により次第に宗教的世界観が変化し、生活にも浸透していくことで、陶器の好みにも変化がみられるようになりました。清楚さ・潔癖さ・純粋さをイメージする白が宗教的にも重要視されるようになり、あらたな宗教観が生活にも浸透していくと陶磁器においても白磁が隆盛をみるようになりました。李朝白磁の誕生です。

李朝花鳥文壺

李朝陶磁器の変遷は大きく、初期の鶏龍山盛期、中期の型手白磁期、後期の染付全盛期、そして末期の4期に区分できます。初期、高麗青磁の伝統が残存するとはいえ、最も陶技が発達したのは三島手といっていいでしょう。象嵌技法の成熟により三島手は完成されこの時代の代表作となります。化粧土を使ったその他の器、粉引や刷毛目などとともに粉青沙器(粉粧灰青沙器)と呼んでいます。特に忠清南道の鶏龍山で焼かれた粉青沙器は素朴で独特の世界観をもつことで知られています。

中期になると堅手白磁が持てはやされるようになります。初めの頃は灰白の白磁、道馬里では白磁に呉須(酸化コバルト)で絵付けがされるようになりますが、現存品は少なく希少とされています。その技術は金沙里へと継承され、乳白白磁へと変化しました。装飾を抑えた李朝白磁の純粋な美しさは、儒教の宗教観を実現させようとした朝鮮王室の思想と生活において、もっとも相応しいものでした。王室や中央官庁で使われる白磁を制作するための専門の官庁である司饔院分院では、宮中で日常的に使われる器、内医院の薬器をはじめ、祭器や王室の慶事の際に使われる特別な器などが作られました。司饔院所属の官吏が毎年、図画署に所属した画家たちを連れて官窯に出向き、陶磁器の絵を描かせたといわれています。呉須の用法が巧妙で、描画に大変優れており、特に小鳥・魚・牡丹などが好んで描かれました。削り・透かし彫りの技巧にも優れ、文房具類・筆立て・水滴などは多様な形態を示しています。王朝直轄の焼き物であったため、優雅な名品が多くみられますが、王朝の衰退化にともなって民営化され、その技法は現代へと継承されます。

李朝壺

日本における陶磁器の発展を語るにあたり、李朝の陶業が多くの影響を与えたことはいうまでもありません。茶道の流行により朝鮮産陶磁器は大変歓迎され、「高麗物」の名の下で多くを輸入しています。「侘び・寂び」の美学がもっとも顕著に表れたのが粉青沙器でした。日本でも多くの茶人や文人に愛され、大変珍重されています。

古美術永澤では、新羅高麗の陶磁器も探しています。もしお手元にございましたら一度お気軽にご相談下さい。
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