【5分で解説】「ゲテモノ」と呼ばれた天才――富士山で有名な画家、片岡球子とは?

絵画・版画買取 2026.06.06

片岡球子《目出度き富士》

片岡球子の概要

〝異端にして正統〟である日本画家

富士山や浮世絵の人物といった主題を、鮮やかな色彩と大胆な造形で描いた女流日本画家 ・片岡球子(1905 – 2008)。

彼女のキャリアの長さと注目された時期から、戦後の日本画家とみなされがちですが、女子美術専門学校(現・女子美術大学)高等科を卒業したのは大正15年(1926年)。戦前の日本画教育を受け、修業を積んだ画家でした。当時、女性の社会進出は進みつつあったものの、美術の世界で女性が男性と肩を並べて活躍することは、簡単なことではありませんでした。

片岡球子は、故郷での結婚話を蹴って、小学校教諭を務めるかたわら画業をスタートさせました。女性であること、二足のわらじを履いていること、二つのハンディキャップを負いながらも、日本美術院(近代日本画界の中核をなす民間美術団体)において苦節の時代を経て、評価され、中心的画家として活躍し、教育者・画家として生涯現役を貫きました。

片岡球子の作風

大胆に、力強く個性を貫き通す

従来の日本画における繊細さや余白の美とは異なり、原色の多用、力強い線、造形の歪み(大胆なデフォルメ)で描いたのが特徴です 。
片岡球子の作品は、ひと目で彼女のものだと分かる強烈なインパクトを持っています。
戦後には、接着剤のボンドなど、従来の日本画では使われないものを画材として積極的に取り入れるようになります。

その一方で、主題は伝統的な“日本的”なものを多く描きました。
自然の雄大さを表現するため富士山をモチーフにした「富士」シリーズ、人物の内面まで表現しようと歴史的人物や浮世絵師などの肖像を描いた「面構(つらがまえ) 」シリーズがあります。

「富士」シリーズ

日本最高峰の独立峰で、その優美な風貌は日本国外でも日本の象徴として広く知られている富士山。
古来より霊峰とされ、葛飾北斎、横山大観など多くの絵師・画家のインスピレーションの源泉となりました。

その伝統画題に片岡球子は昭和39年、59歳から挑み始めます。
65歳で藤沢へ転居して富士に通い、40年以上にわたり、春夏秋冬うつろう富士山を描き続けました。
極彩色に力強い筆致でデフォルメされた富士山の姿は、自然の巨大なエネルギーと自らの内面を投影させた作品群となり、片岡球子の代名詞ともいうべきシリーズとなります。

2016年公開の映画『シン・ゴジラ』の首相官邸シーンの壁には、片岡球子の《富士山》がかかっています。
遠目でもわかる、目立つ個性ある作品。
映画『シン・ゴジラ』の登場人物も、周囲から爪はじきにされている個性的な人々が力を合わせて立ち向かうストーリーであり、意図的にかけていることが伺えます。

「面構」シリーズ

晩年のライフワークとして、人間の内面、生き様を写す「面構」シリーズに着手します。
〝顔〟をテーマに、足利尊氏、徳川家康、上杉謙信といった武将から、雅楽、浮世絵師といった人々を描きました。

歴史的事実を調べて把握し、片岡球子の中でそれらを十分に咀嚼したうえで、鮮やかな色彩を使い、ダイナミックな造形や心理描写に、思い切り自由にイメージを飛躍させています。

「面構」のモデルは、浮世絵師が主軸を担うようになります。浮世絵が19世紀末の西洋美術に多大な影響を与えていることも、高く評価して、主題として選ぶ契機となりました。
江戸時代、浮世絵師は幕府や公家の権力とは無縁に庶民相手に絵を描いていました。
球子は、自由で反骨的な精神をもつ浮世絵師を同じ絵描きとして尊敬し、豪快可憐な表現を展開して描き続けました。

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片岡球子の何がすごいのか?

〝落選の神様〟と呼ばれて

女子美術専門学校(現・女子美術大学) を卒業しますが、いきなり画業で生計を立てることはできません。
師である吉村忠夫に無断で帝展に出品したり、その活動・方向性に批判的だった日本美術院の院展への出品を目指すようになったため、吉村忠夫に破門されてしまいます。
それでも片岡球子は院展に出品しますが、実に20回以上も連続で落選し続けました。周囲から「落選の神様」とあだ名される辛い日々であっても、彼女は諦めず、出品し続けました。

近代以降の絵画界は、世界的には個性が評価される時代ですが、日本画の世界というのは少々〝ガラパゴス〟な部分があり、必ずしも際立った個性が評価されない状況でした。

しかし、その中で片岡球子は、なかなか個性的な画家です。
原色のような派手で力強い色遣いに、既存の型を無視した、あえて稚拙さを出したような独自の造形。荒々しい筆致。
だからこそ、一目見て、彼女の作品だと分かります。

〝ゲテモノ〟と言われて

最終的には文化勲章を受章するまでの社会評価を受けているものの、帝展(官設の美術展覧会 。現・日展)や日本美術院の院展に何度も落選したのは、個性が受け入れられなかったことも理由にあります。

当時の院展の主流は、繊細で優美な「新古典主義」的な画風でした。
それに対し、球子の描く力強く、時に「ゲテモノ」と揶揄されるほど大胆な色使いやデフォルメは、なかなか理解されませんでした。

しかし、日本美術院の第一線で活躍する先輩である小林古径が《祈祷の僧》(https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/database/collection/17948)を見て、「あなたの絵はゲテモノとずいぶん言われているようだが、ゲテモノと本物は紙一重だ、あなたはそのゲテモノを捨ててはいけない」と言いました。それが励みとなり、個性を大事にしながら修行に励みました。

片岡球子《人形》

片岡球子作品の価値

文化勲章受章画家である片岡球子の作品は、没後も日本美術界で非常に高い人気を誇り、その価値は安定しています。
近年、片岡球子の力強く大胆な色使いは、現代のアートコレクターからも「モダンな日本画」として再評価されています。特に赤富士などの縁起の良いモチーフは、投資対象としてだけでなく、実用的なインテリアとしても根強い需要があります。

肉筆画(日本画・水彩画)

本人が直接筆を執って描いた一点ものです。

日本画(本画)
300万円 〜 数千万円(稀に1億円超)代表的なモチーフである「面構」シリーズや、金箔・銀箔を多用した豪華な「富士山」図などは、市場で最も高く評価されます。特に歴史上の人物を描いた大作や、展覧会出品作は数千万円に達し、日本美術界における最高峰の資産価値を持ちます。
水彩・素描(デッサン)
30万円 〜 200万円前後勢いのある線で描かれたスケッチや、色紙に描かれた小品であっても、球子特有の生命力が感じられる真筆であれば、高い価値が認められます。

版画(リトグラフ・木版画・シルクスクリーン)

一般的に市場で流通しているものの多くは版画です。これには大きく分けて2種類あります。

生前作(オリジナル版画)
15万円 〜 100万円前後球子本人の存命中に制作され、本人の直筆サイン(鉛筆書き)や落款があるものです。特に「赤富士」に牡丹や梅を組み合わせた華やかな構図は人気が極めて高く、状態が良いものは100万円近い価格で取引されることも珍しくありません 。

 

没後作(遺族監修版画)
5万円 〜 20万円前後

没後、ご遺族の監修のもとで制作されたものです。本人の直筆サインはありませんが、承認印(スタンプ)が押されています。装飾性が高く、インテリアとして安定した需要があります。

工芸画・印刷物

工芸画(彩美版など)
数千円 〜 10万円前後最新の印刷技術で再現されたもので、限定番号(エディション)がついていても、あくまで「高品質な複製」という扱いです。

掲載価格は過去のオークション実績などを参考にした市場相場の一例です。
実際の査定額・買取価格を保証するものではありません。

片岡球子作品を展示している美術館・施設紹介

美術館

北海道立近代美術館

https://artmuseum.pref.hokkaido.lg.jp/knb

院展初入選の《枇杷》(1930)、1930~50年代の風俗画、1960年代以降の雅楽シリーズを中心とする本画43点を収蔵。

東京国立近代美術館

https://www.momat.go.jp/

《渇仰》(1960)、《面構(歌川国貞と四世鶴屋南北)》(1982)、片岡球子70代半ばではじめた裸婦の連作〈ポーズ〉シリーズなど。

神奈川県立近代美術館

https://www.moma.pref.kanagawa.jp/

《火山(浅間山)》(1965)、《面構 足利尊氏》(1966)など。

パブリックアート

《江戸の四季》陶板レリーフ

片岡球子《江戸の四季》

サンシャインシティ地下1階のメインエントランスから、サンシャインシティ 西街区1階へ2016年1月移設

《めでたき富士》陶板レリーフ

藤沢市役所 新館 1Fロビー 1983年6月完成、藤沢市役所 分庁舎へ2020年1月移設

《春の富士》陶板レリーフ

  • 《春の富士》陶板レリーフ 正面
  • 《春の富士》陶板レリーフ

鉄建建設本社 エントランス・ロビー 1993年12月完成

担当

作家コラム編集室 AYA

サイトコラム編集者

西洋美術が好きだけど、最近東洋美術も面白く感じてきた。学芸員資格を持っている。作家コラムを中心に更新中。